逃げる悪女

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逃げる悪女
ジェフ アボット Jeff Abbott 吉沢 康子
早川書房 2005-01
評価

海賊岬の死体 -モーズリー判事シリーズ さよならの接吻 図書館長の休暇 図書館の親子 フェニモア先生、宝に出くわす

by G-Tools , 2006/10/12



 ぶつぶつ言いながらも新作が出ると読んでしまう、ジェフ・アボットの「モーズリー判事シリーズ」最新作。田舎町ポートレオで起こる事件を扱っていた前二作と異なり、今回はホイット・モーズリー判事がテキサス州都ヒューストンでの組織犯罪に巻き込まれる。日本語翻訳版は以前からコージーミステリを標榜しようと努力しているようだが(裏表紙の「あらすじ」が無理矢理のどか)、今回はどー考えても「ハードボイルド・ミステリ」である。前二作だって、連続殺人鬼だの海賊まがいだの、とてもじゃないが「ほのぼの」には程遠いのだが。


※コージーミステリとは
 コージー(cozy)とは、(家・場所などが)居ごこちのよい、気持ちのよい・(人が)思いやりのある・(雰囲気などが)くつろいだ、和気あいあいとした状態を指す形容詞である。でっかいシュークリームが目玉の「コージーコーナー」のコージーと同語だ。(ちなみにティーポットの保温カバーはtea cozyという。)
 ミステリ用語としては、殺人事件が起きても雰囲気が陰惨に陥らず、登場人物はユーモアを忘れず、無事解決すればのどかでほのぼのとした日常に回帰するタイプの小説を指す。



 しかし、このハードボイルド路線への突入が物語の興を上げた。私にとってはシリーズ最高の出来である。


 6人兄弟の末っ子としてモーズリー家に生まれたホイット判事。実の母は彼が幼い時に家を出て、以降行方知れずだ。子供たちは「母に捨てられた」ことに傷付いて生きてきたが、あれからもう30年が過ぎた。しかし、兄弟の父が癌の宣告を受け、余命は長くて数ヶ月と診断される。「お父さんが生きている内に、お母さんを見つけ出して謝らせたい。」そう思うホイットは、私立探偵を雇って彼女の行方を追い求める。
 一方、30年前に故郷を捨てたエレン・モーズリーは、イブ・マイケルズと名前を変え、犯罪組織に属し、裏社会の資金洗浄係として生きていた。子供たちのことを思い出さない訳ではないが、大人になった彼らのことは想像できない。今更会わせる顔もない。所属する組織は不意の代替わりで弱体化し、新しいトップは彼女を蔑ろにしている。今回の大きな麻薬取引が終わったら、身を引く潮時かもしれない。
 探偵は、イブ=エレンの可能性が高く、彼女はヒューストンの裏社会で生きていると報告。居ても立ってもいられなくなったホイットは、友人でもある警官クローディアの制止を振り切り、頼りになる友グーチを伴ってヒューストンへと旅立つ。母と息子の対面は叶うのか。そして、家族の幸福な再会はあるのだろうか?


 さて、もう一度言うがハードボイルドである。しかも、舞台は都会の組織犯罪である。お花畑もお茶会もなく、脳漿飛び散る処刑シーンだの、悲鳴が途切れぬ拷問シーンだの、麻薬漬けにして自白シーンだののてんこ盛りだ。その上、組織が経営するストリップ・クラブの場面が多く、パンツしか履いてないよーなお姉さま方もぞろぞろ出て来る。時々それも脱いじゃう。どうやったらこれを「コージーミステリ」に分類できるっつーんじゃ。(ちなみに本家アメリカの書評では、このシリーズは「スリラー」ということになっているようだ。)
 このシビアな都会で「母を訪ねて三千里」するホイットは、普段のだらしなさや優柔不断さをかなぐり捨てて事態に望む。母を愛しているのか、憎んでいるのか、信用すべきなのか、裏切られると覚悟すべきなのか迷い続けながら。
 イブ=エレンのキャラクタが秀逸である。孫が居るような立場、年齢になっても戦い続けることを選ぶというのがどんなに過酷なことかが描かれる。映画「グロリア」のタイトルロールを想起させる、老いてなお裏社会に生きることを選んだ「逃げ続ける女」の運命やいかに。
 好き嫌いの分かれそうな内容ではあるが、私は「家族の物語」としてはエンディングの最後の一行まで気に入った。どんなに遠く離れようとも、決して逃れられないものはあるのだ。★★★★☆