アザの除去手術


かん子さんのおでこには、生まれつき黒いアザがある。
2年前、これの除去手術を受けることにした。担当医(皮膚科部長)が、「このあざはレーザーでは除去できないから、外科手術をする」と言い、中々大がかりな手術の説明が始まった。

  • バルーン(水風船のようなもの)を額のアザの下に埋め込み(手術1回目)、月に数回通院して、そのバルーンに生理食塩水を注入し、少しずつ膨らましていく。目的は、皮膚を伸ばし、アザを切除した時に周辺部を縫合できるようにするため。
  • バルーンを入れる期間は、短くて三ヶ月、長くて五ヶ月程度。その間に、衝撃等でバルーンや皮膚が損傷すると、全部パー。
  • 十分にバルーンが膨らみ、皮膚が伸びたら、切除手術を行う(2回目)。

正直、ええっと思った。かん子さんは、保育園児なのだ。私は、会社員なのだ。月に数回休暇を取り、保育園では顔から転んだり、ご学友と激しく遊ばないように配慮し、2回の手術のため入院しなければならないのか、とがっくり来た。いったい自分はどんな簡単便利なものを期待していたんだ、と我が身の浅はかさを笑った。素人の悲しさ、否やのあろうはずもない。プロフェッショナルに全てお任せします、と同意書にサインをした。
手術が決まると、担当医が変わった。皮膚科部長が実際に手術をするんじゃない、ということをその時初めて知った。不安だったが、新担当医が記念撮影したいくらいの男前だったので、気分が明るくなった。個人的に彼をアンディと呼ぶ。
さて、入院の日がやってきた。水曜日に入院して、木曜日が手術の日。色々検査、採血、レントゲン、血圧、身長体重、お昼だおやつだ夕食だ。そこへ突然アンディがやってきた。何やら思案顔で、男前は眉根を寄せていてもステキどすなあ、などと親がアホなことを考えていると、突然「明日の手術、中止しませんか?」と言い出す。ビックリである。
「あくまでも私の個人的考えなんですが……」とおっしゃる医師の話を聞くと、

  • 部長からカルテを引き継いで、「メスを入れる方法しかない」とあったためにそれを継続したが、こんな小さな子どもに全身麻酔をしてメスを入れて、傷を残す術法を最初に試すことにはずっと違和感を覚えていた。
  • 大がかりな外科手術は後でもできるけれど、レーザーやドライアイスなどの進捗は遅くてもリスクの低い手法を試すなら今の方がいい。
  • 自分の子供だったらこの手術をするだろうか、ずっとそれを考えてばかりでした……と言われて、いやあいい男にそんなこと言われちゃったらもう聞くしかないでしょう!*1

ということで、アンディを信じて、まずは他の治療法を試すことにした。部長の診断を翻して、先生の立場は大丈夫なんですか?と聞いたら、いやいやあはは、って本当に大丈夫?


そして、約半年間、月に一度通院し、レーザーとドライアイスによる色素細胞破壊治療を行った。最初はレーザー照射をしていたが、効果が顕著に出ないこと、かん子さんが大きな音と光(イメージと異なり、レーザー照射はバチン!という大きな音が出るのである)を非常に恐れたため、3回目からはドライアイスに変更した。しかし、これも苦痛があり(ドライアイスをアザに押し付けて焼いていくのだから、麻酔薬を塗布しても痛いものは痛い)、本人が強いストレスを訴えるため、断念した。最後の予約を取り消し、かん子さんを連れずに親だけが話をしに行った。

  • ドライアイスは、効果は出ていると思う(薄い部分の色素が、より薄くなっているように見えるから)。
  • ただ、これをずっと続けることは、苦痛対効果としてはあまりにも本人に負担が大きいように思える。
  • でも、手術に戻ることには心理的抵抗がある。だけど、手術なら一度に面積を減らせる。しかし、バルーンは嫌だ。そんなこんなで悩んでいる。

そう話すと、アンディは丁寧に様々な手術や治療の方法を解説し、また、焦ることはないのだ、と言った。かん子さんの皮膚は充分柔らかく、伸びがいい。どんな方法でも、今すぐやらねば手遅れ、なんてことはないのだから、と。


かん子さんは治療を休み、私は一年間考え続けた。そして、今年の9月、手術の予約をするために、再度アンディの元を訪れた。手術は12月に決定した。
今回の手術は、前回予定されていたものとは違う。アザを一部切除し、無理のない範囲で周囲の皮膚を伸ばして縫合する。ダーツを取って、縫い跡が「I」の字になるような計画である。
水曜日に入院して、木曜日が手術の日。色々検査、採血、レントゲン、血圧、身長体重。二年前と異なり、知恵の付いてきたかん子さんは、泣いたり嫌がってクネクネしたりする。そこへアンディがやってきた。検査結果に問題ないので、明日は手術決行です。
いよいよだ。


朝一番で、3歳の女の子の手術があり、かん子さんはその次だった。その子が出て行って一時間もしないうちに戻ってきて、何て早いんだろう、と思った。
黄色いストレッチャーに乗って、薬のせいで少し眠そうなかん子さんは、手術室に入って行った。絶対に泣いてはいけない、無理矢理に笑えることを思い出してでも、絶対に泣いてはいけない。にっこり笑って、手を握り、いってらっしゃい、と何でもないことのように声をかけた。
病室に戻って待った。手術時間は1時間程度、と聞いていたのだが、2時間待っても戻ってこない。時間つぶしに本を買っていったのだが、読み終わってもまだ戻らない。こんな時に、よりによって選んだ本が「失踪家族」。平凡な日常の中で、ある日娘一人を残して家族全員が消える、というサスペンスである。なんでこの本にしちゃったんだろう。ものすごく面白い。だけど、なんで今「戻ってこない家族の物語」を読んじゃったんだろう。もう3時間たった。
かん子さんの父親も同じ部屋で待機していて、私がうろうろと落ち着かずにいるのを見ていた。
「そのTシャツ、なんて書いてあるの?」
私はその時、緑色の派手なTシャツを着ていて、その胸元には「4 Out Of 3 People Have Trouble With Fractions」と書かれていた。
「『3人中4人の人は、分数を理解していない』」
「?」
「ジョークなんだよ。この文章を書いた人自体、分数を分かっていないんだよ、っていう」
「なんでそんなの着てるの」
「何か、笑えるものがあった方がいいかな、と思って」
 そう言ってから、私はめそめそ泣いた。彼は困ってしまって、大丈夫だから、と何度も言った。



手術室に入ってから3時間半後、かん子さんは戻ってきた。声をかけると薄く目を開いて、少し反応した後、また眠り込んだ。その後夜までうつらうつらで、経口で水分や固形物を取ると、全て吐いてしまった。朝も、覚醒はしっかりしていたが、依然として食べては吐いていた。その割に本人は元気だったし、私の気分も晴れ晴れとしていた。
アザは、三分の二程度に縮まった。まだ残っている面積の方が多い。傷跡は「I」というよりは、「工」だった。それでも、大きな一歩だ。
傷の治りは早く、水曜に入院して、木曜に手術したかん子さんは、金曜日にはもう帰宅できた。ビックリである。やっぱりおうちはいいね、うららもいるし、とみんなで喜び合った。
一週間後に抜糸した。アンディは退職するので、後任の医師に正式に引き継いでもらった。今度の先生もハンサムで、かん子さんは美形の星の下に生まれたんだね、と本人の強運を褒めておいた。


お子さんの母斑細胞性母斑の切除手術に悩んでいるご両親へ。
気軽におすすめできることではありませんが、私はやってよかったと思っています。まだあと2回は受けないと、完全には消えませんが、医師と病院を信じてがんばろうと思います。私ががんばることはないのか・・・・・・。
術前後、抜糸後の写真を撮ってあります。見映えのいいものではないので、公開はしませんが、資料として見てみたい、というようなご希望がございましたら、お問い合わせください。

*1:念のため、冗談です。私が面食いなのは本当ですが。