がんばらない

失職、生きる力も消えた 「孤族の国」男たち―3

 クリスマスの夜。「温まってください」。浜松駅前で失業者らにスープを配った日系ブラジル人団体「エスペランサ(希望)」の河内オスバルドさん(58)は、失業者が自殺に追い込まれる日本が不思議でならない。ブラジルの10万人あたりの自殺率は日本の5分の1以下。「私たちは食べものと一緒に、声をかけて言葉を配る。助ける、助けられる、に遠慮はいらない


特集−孤族の国

 〈39歳、健康体であれば何か仕事はあるはずである〉

 「幅広く探してみる」と男性は保護を申請せず帰った。

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 弱い自分をさらけ出し、助けにすがってまで生きる。生き延びたとして、その先に希望があるのか――。電気が切れ、真っ暗な借家で煩悶(はんもん)するやせ細った39歳を想像した。

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 心配してたびたび様子を見にきていた家主、弁当を持たせた元同級生の母、生活保護の窓口……。すがってもいい、どこかで一言を絞り出してほしかった。

「イギリスでは妊婦は電車で席を譲ってもらえるし、駅の階段では通りすがりの人がベビーカーを運んでくれるそうです、うらやましいと思う反面、もしそんな環境にいたら、私は甘ったれた母親になっていたかもしれません。二人の幼児をつれて鉄道で帰省する時も、日本では誰も私を助けてはくれません。でもそうした中で、私は母親として、心身ともに強くなれた気がします。前向きに子育てをしていきたいと思います」
(読売新聞の投書を要約)

 前向き、ですか……。通りすがりの男性に「ベビーカーを階段の上まで運んでいただけませんか」と頼むのは、そんなに屈辱的な行為ですか。二人の幼子を抱えた女性にそう頼まれれば、たいていの男は協力してくれるはずですが、おそらくこのお母さんは頼んでみたことすらないのでしょう。
 日本人は基本的にコミュニケーションを嫌います。他人に何かを頼むという単純なコミュニケーションさえ恥だと考えます。その反面、誰かが場の空気を読んで、困っている自分を助けてくれないかな、と屈折した依存心を抱いています。でもそううまくはいきません。テレパシーができて、親切で、ヒマをもてあました超能力者が偶然通りかかる確率は限りなくゼロに近いのです。自分から頼みもしないで「他人は助けてくれない、世間の人は冷たい」と決めつけることで、人は自立の鬼になっていくのです。
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 お母さんが一人で余計な苦労まで背負い込むと、強くなるどころか、自立の鬼になってしまう危険があります。それによって損をするのはお子さんたちです。ここはひとつ、前向きな気持ちで他人に甘えてみましょう。
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 「自立している」人など、どこにもいやしません。世界中の誰もが誰かに依存して成り立っているのが現代社会です。他人に迷惑をかけずに生きることなどできません。自立の鬼は、自立という幻想を喰らって太る妖怪です、
 それじゃあ、なにもしなくていいのか、とはなりません。依存と努力の両立こそが大切ですが、やっかいなことに、日本人は努力も幻想にしてしまっているのです。「やればできる」と励ます人がその元凶です。やってもできない人の方が圧倒的に多いというのに、あまりにも無責任なことを言います。マライア・キャリーさんが大統領になって、「国民は全員、七オクターブ出せなければいけない」と命じてもムリというものです。自分ができても他人ができるとはかぎりません。
 「やればできる」は努力を勧めているようで、実は暗に結果を求めています。教育者たるもの、そんなウソを教えてはいけません。「できなくてもいいから、やってみろ、それでダメなら生活保護があるさ」と教えるのが、本物の教育者です。
反社会学講座」より

反社会学講座 (ちくま文庫)反社会学講座 (ちくま文庫)
パオロ マッツァリーノ Paolo Mazzarino

続・反社会学講座 (ちくま文庫) つっこみ力 (ちくま新書 645) 13歳からの反社会学 日本列島プチ改造論 コドモダマシ―ほろ苦教育劇場

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