わたし、さびしいんだわ

近況と発見。
仕事はフツーに忙しい。朝から夕方までみっちり頭脳労働するが、殺人的に忙しいわけではないし、職場の環境にもさしたる問題はない。同僚や上司の配慮のおかげで、ほぼ毎日5時に仕事を終えられる。両親のおかげで、月に一、二度残業もできる。ありがたいことだ。
保育園からかん子さんを引き取り、夕食とお風呂を済ませ、かん子さんを寝かしつけた後が自分の時間である。しかし、最近どうもヘンだ。せっかくできた自分の時間なのに、何故か何もしたくなくなる。本を読むでもなく、PCを立ち上げてはいるものの楽しく見るものもなく、返信しなきゃいけないメールに手を着けることもできず、眠いのに眠りたくもなく、ただぼけっと座っている。眠いなあ、寝たいなあ、と思いながら、時計の針が12時を越えるのを見ている。
こりゃいかん、と気付いたのがここ数日のことだ。
昼間は元気はつらつ、マジメに働き、少しサボり、上司に期待され、同僚に頼られる、まっとうな会社員になれる。かん子さんといる間は、一緒に楽しみ、笑い、指導する、「いいお母さん」になるべく頑張れるし、実際それが苦でもない。他の人(両親や友人)といる時も、充実して楽しく過ごすことができる。
それがどうだ。一人になった途端、こんなにつまらん状態になるとは。
元々私は、時にさびしがりやであっても、一人の時間を苦痛に思うことなどなかった。することがない夜は、さっさと寝ていた。(一人暮らしをしていた時は、心楽しく夜8時半とかに就寝していたものだ。)何をやっているんだ、今の私は。


さびしいとか、不幸だとか、そんな風に自分を思いたくはない。自己憐憫に浸って、やたらと同情を求めるなんてぞっとする。
実際、私は孤島の燈台守でもなければ、塔に逆さ吊りにされている訳でもない。二人と一匹暮らしの健康な三十女で、衣食住に困らず、友人家族に恵まれ、不平を言ったら罰が当たる。誇りこそすれ、愚痴をこぼすような境遇ではない。
でも、やっぱりさびしいのだ。
頑張っているし、助けられているし、何もかも充分足りている。周囲の人たちはみんな優しく、本当にありがたくてならない。
それでも、私はさびしいのだ。幸せで、充足していて、それでいてさびしいのだ。
なんて贅沢で、ありふれていて、小さなことだろうか。こんなこと、わざわざガマンして抱え込むようなことじゃない。わざわざ肩肘張って「わたしさびしくなんてないから!」と自分に言い聞かせるようなことじゃない。一人でいる時くらい、自己憐憫したっていいじゃないか。何も履歴書に「趣味:自分の不幸にウットリすること」とか書く訳じゃないんだ。
何もしたくない気分でぼうっとしている暇があったら、言えばいいのだ。「わたし、さびしい」と。誰かに直接言うべきではない。(特に、男の人に言ってはいけませんね。)だから、自分で自分に教えるために、時々言うようにしよう。
さびしいのなんて、当たり前じゃないか。バカヤローめ。


保育園のお迎えの時、保育士さんが言った。
「お母さん、ほんと頑張ってて、エライわ」
私はにこっと笑って、
「ううん、私エラくないの。さびしいの」
とは言わずに、「うふふ」とだけ言った。
さびしいけど、やっぱり幸せなの。実は、とっても幸せなの。