絶対評価

何かを評価する際に、純粋に対象のみを見ること―絶対評価―ができたら一番だと思っている。
しかし、好意を持つ相手には無条件でポイントがアップするし、嫌いな奴は端から割り引いて見てしまう。以前良かったなら今回もまた、と思い込む。前回まずかったなら今度もやはり、と勝手に決める。
良くないと分かっているのだ。しかし、難しい。「ああ、あれ?私は大っ嫌いだけど、作品としては五つ星だよ。」なんて言えない。
他の人はどうなんだろう。
ダンスや文学賞の審査員は、どうやって公正であると判断されるのだろう?衣裳が好きだから+1とか、内容が嫌いだから-1とかやっていないと言えるのだろうか?


こんなことをグチグチ言っているのは、実のところ言い訳に過ぎない。
二冊続けて感想文を書けない本を読んでしまったのだ。


一冊目はジョン・アーヴィングの「第四の手」。

第四の手

第四の手


「未亡人の一年」に大いに満足して、続けて読んでみた。
断片的に共感したり感動したり、またクスリと笑ったりもできたのだが、全体的には散漫でつかみどころなく読了してしまった。
TV報道のむなしさや、父性が人を変える様子などに思うところはあるが、それだけに言及しても小説全体を評価することはできない。
つまらぬ本を読んだと思うなら、こうやって言い訳などせずにただ忘れるだけなのだ。そうでもないので困っている。ましてや、つい最近別の作品でいたく感動した作家である。それが面白く感じられないだなんて、自分のほうに何か足りぬものがあるのではないかとまで思ってしまう。
しかし、初めて読んだアーヴィングが本作だったなら、私は躊躇なく「つまんね」と言ったような気もするのだ。


二冊目は、ねこに関するある小説だ。(タイトルは伏せる。)
物語は、若夫婦の生活を描いている。
猫好きの恋女房のために、「ぼく」は新婚生活で猫を飼い始める。しかし、ペット禁止のアパートで近隣に気付かれまいと猫を外に出すと、二度と戻ってこない。
次は堂々と飼いたい、ということで、庭付きの家に引越し、近所のおばさんから新しい猫を手に入れる。猫にはやがて子供も生まれる。しかし、外に出している間に、(誰かに連れ去られたのか?)猫の親子は消えてしまう。
近所のおばさんはまた猫をくれる。しかし、その猫は……


もうここで読むのをやめた。
文章は美しく、詩的な表現は秀逸である。しかし、そこに書かれている内容にどうにも我慢がならなかった。
なぜ一匹の猫を大切にできないのか。失うたびに深く悲しむ二人に強い憤りを覚えた。
「死んだりいなくなったりしたら、いつでもまたやるからね」というおばさんにも、全く共感できない。
今とは違う。そういう時代だったのだ、と自分に言い聞かせてみても、やはり悔しくて納得いかない。正当な評価などできはしない。


絶対評価ができたらなあ、と思っている。
でも、私には無理なのかもしれない。