海を飛ぶ夢

ラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)。スペインのガリシアに、父親と兄夫婦、その息子と住む中年男だ。彼は19で船員になり、世界中を旅した。海を愛した。しかし、その後海で起きた事故で首を骨折し、四肢麻痺となった。それから26年。彼は、尊厳死の権利を求めて裁判を起こす決意をする。自由に死ぬために……。
原題は「Mar adentro」。「内なる海the sea inside」という意味らしい。(字幕では「裡なる海」となっていた。意味は間違っていないかもしれないが、違和感がある。)四半世紀以上首から上しか動かせずに生きてきた男が、自分だけの海に帰るために戦う物語である。


スペインはカトリックの国である。政教分離の建前はあるが、文化にも法律にも教会が強い影響力を持つ。自殺に強い罪悪感を持つのが一般的なだけでなく、安楽死尊厳死にも法律の大きな壁が立ちはだかる。(劇中にはカトリック教会を痛烈に批判する描写もある。)
しかし、尊厳死支援団体と、彼に共感する女性弁護士のバックアップで、彼は政府と国民に訴える。生きる権利だけでなく、死ぬ権利をも認めて欲しいと。他の四肢麻痺患者は不快に思うかもしれない。けれども、これは一般的なことではなく、ごく個人的なこととして主張するものなのだ……と。
父と兄は反対する。神に与えられた命を無駄にするな。家族を失うだけでも辛いのに、それが自ら望んでのこととなればなおさらだ。国中に晒されて、家族に恥をかかせるのか。
だが、26年間彼の面倒を見てきた兄嫁は、何が正しいのかは分からぬまま、しかし彼の思うようになることを願っている。自らも病を抱える弁護士も、彼の心を知り、彼を愛するようになる。そんな折、彼女の病状が悪化。彼女はある決意をし、ラモンにそれを打ち明ける……。


この映画は、アカデミー外国語映画賞及び、メイクアップ賞にノミネートされていた(外国語映画賞受賞)。メイクアップ?どこに??と思ったら、主演のハビエル・バルデムである。

ハゲで白髪で二重顎の中年男を演じた彼は、1969年生まれの36歳。しかも、「アントニオ・バンデラスに続くスペインのセックス・シンボル」らしいですわよ、奥様。

劇中では、若かりし頃のラモンの姿も描かれるのだが、そちらの方が本人に近いということになる。
彼を深く理解する女性弁護士役に、倍賞美津子顔のベレン・ルエダ。物語後半、共に自由に身動きが取れなくなった二人が二つの部屋に分かれて会話するシーンは、非常にロマンチックだった。



話の展開全てに共感し、受け入れられた訳ではない。それはどーなのさ、と思ったり、肝心な所なのにはっきり事情が把握できずにイライラする部分もあった。また、実際に同じような状況で苦しんでいる人や、その家族にとっては不快な物語となるのかもしれない。
しかし、私は見てよかった。★★★★☆
監督でもあるアレハンドロ・アメナーバルが担当した音楽も素晴らしい。


四肢麻痺というと、私はジェフリー・ディーバーが創作した「ボーン・コレクター」シリーズのリンカーン・ライムを思い出す。架空の人物ではあるが、彼もまた自らの状況に悩み、尊厳死を考えることもあった。しかし、彼はそれを思いとどまっている。
ラモンとライムの違いはなんだろう。フルタイムの看護士を雇えるライムの財力?難事件の捜査に携わる満足感?充分な金や必要とされる仕事があれば、ラモンは死を選ぶことはなかったのだろうか。分からない。
生きることは素晴らしい。私はライムが死を選ばなかったことを嬉しく思った。しかし、生き続ける事が常に善なのかどうかは、今の私には分からない。ラモンの選択を否定することはできない。
物語中盤、「誰も寝てはならぬ」(プッチーニのオペラ「トゥーランドット」中のアリア)が高らかに流れるシーンに私は涙した。山と森に面した窓からは見えぬ、愛するラ・コルーニャの海へと自由な体で飛んでいくラモンの姿。
もし私の目が見えなくなったなら、私はどこまでも広がる巨大な図書館を夢想するだろう。一生かかっても読み切れぬ本が並び、それをいつまでも読み続ける夢を見るだろう。そうなったら、私はそれを思うことしかできぬ自分に耐えられるだろうか?強くありたい、呼吸が続く限り生き続けるべきだと信じる一方で、何のために生きているのか分からぬ虚しさに取り付かれることだろう。ラモンの選択に共感するだろう。
それは弱さだろうか。逃避だろうか。そして、それは許されぬことだろうか?命は誰のものなのだろうか?


この映画は実話に基づいて創作された。
ラモン・サンペドロの手記は、映画と同名の本になっている。

海を飛ぶ夢 (翔年たちへ)

海を飛ぶ夢 (翔年たちへ)

  • 作者: ラモンサンペドロ,Ram´on Sampedro,轟志津香,中川紀子,宮崎真紀
  • 出版社/メーカー: アーティストハウスパブリッシャーズ
  • 発売日: 2005/04
  • メディア: 単行本
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