アライグマ考


先日まで、ケーブルテレビのキッズステーション(とか純真な名前でお色気アニメも放映していたりする油断ならぬアニメ専門局)で、平日の夜に「あらいぐまラスカル」を放送していた。言わずと知れた「カルピスこども劇場」(後の「ハウス名作劇場」)で放送された、あの「ラスカル」である。初回放送は1977年。私は4歳。見ていた記憶はあるが、覚えているのはラスカルを学校に連れて行くエピソードだけだった。
再放送を見るのは初めてではなかったが、今回は家でおとなしくしている期間にちょうど重なったのでまとめて見ることができた。そして……大いに泣いた。ホルモンのせいに違いない。


ここで、「あらいぐまラスカル」のストーリーを紹介しよう。
時は1918年。スターリング少年はウィスコンシンの小さな町に住む11歳。手広く事業を営む父、病弱でミルウォーキーの病院にいる母、そして年齢の離れた二人の姉という家族構成だ。姉二人も一人は嫁ぎ、一人は大学に通っているため、スターリングは父と二人暮しも同然だった。
ある日、彼は森で母親を殺されたアライグマの赤ん坊を拾う。四苦八苦して子育てをし、ラスカルと名づけたアライグマは、母を病で失ったスターリングの親友となるのだった。
しかし、父の事業が失敗し、スターリングは生まれ育った町を出て、ミルウォーキーの姉の下で暮らすこととなる。森のない都会に、成獣となったラスカルは連れて行けない。スターリングは一年間、辛い時も楽しい時もずっと一緒だったラスカルとの別れを決意するのだった……。


スターリング少年、苦労人である。何せ、母を亡くす前から家事を引き受けているし、小遣い稼ぎだって自力で色々やっている。可愛がっているラスカルはのんき者で、畑を荒らして町人に迷惑をかけたりして、子供時分から不良少年の親みたいな苦労をしてしまっている。しかも、最後には住み慣れた町、大切な友人、更には父とも離れて一人旅立つのだ。12歳の少年が、ただ一人……。
だが、物語全体の印象は暗くはない。スターリングがへこたれたり非行に走ったりしない点も大きいが、何よりもタイトルロールのラスカルの魅力によるところが大きい。
だってねえ、あなた。角砂糖をミルクの中でしゃぶしゃぶ洗って溶けたらびっくりするんですよ。イチゴのソーダ水のビンを抱えて、仰向けになって飲むんですよ。ペロペロキャンディーの包み紙をささっと剥くんですよ。早く走る乗り物が好きで、自動車にだって物怖じしないんですよ。ああ、カワイイ。うららみたいだ(妄想)。
しかも、ラスカルはミーミー鳴くんですよ。ニャーとも聞こえるんですよ。(ちなみに、「にゃあ?」と聞こえるラスカルの声を担当していたのは、なんと野沢雅子である。)そして、シッポが縞々なんですよ。これは、うちのうららに間違いありません。口を菱形に開いて鳴くところもそっくりだ。そう、奴はラスカルだったのだ(かなり危険な妄想)。
早速私は猫に呼びかけることにした。「ラスカル、ラスカル!」不機嫌そうにうららは退場してしまった(現実)。


原作はスターリング・ノースの自伝的小説、「はるかなるわがラスカル」。

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はるかなるわがラスカル
スターリング ノース 亀山 龍樹
ブッキング 2004-10

ラスカルからの手紙 Rascal あらいぐまラスカル あらいぐまラスカル(3) あらいぐまラスカル(1)

by G-Tools , 2006/10/08



小説には、アニメ版と若干異なる部分がある。
まず、物語の時代には既に母親が亡くなっている。また、姉二人のほかに兄が一人おり、彼は一次大戦のフランス戦線に出征している。戦況が町に落とす影についても詳しく語られる。更に、父親が不在がちなのはアニメ以上で、スターリング少年ほぼ一人暮らしである。
また、ラスカルを飼い始めるエピソードも、「母を失ったアライグマを引き取った」のではなく、森に行って「仔アライグマを拉致してきた」点でかなり違う。だが、寂しい少年のアライグマと慕い合う描写には、まこと心を打たれる。涙を堪えたのは一度や二度ではない。(ホルモンのせいだな。)
本作の最後でもラスカルは森に帰るが、それは引越しのためではない。しかし、同じようにラスカルの幸福のため、スターリングは親友との別れを選択するのだった……。
スターリングは20世紀初頭当時の「現代っ子」だ。都会ではないが町育ちで、父と遠出をするまで鹿も熊も見たことはない。学校では女性教師が性教育を教え始めている。だが、小遣い稼ぎにジャコウネズミを捕えたり、自転車で秘密の釣り場に行ってナマズを釣るシーンなどには、やはり時代を感じる。
筆者は物語の少し後に小児麻痺に罹患し、かつてラスカルとともに楽しんだスケートや乗馬、自転車の遠乗りなどを楽しめなくなった。そのせいもあるのだろうが、昔を懐かしむその筆致は実に生き生きとしており、見たこともない北米の風景が目前に迫るように感じられた。(自分の食い意地を改めて主張するようだが、素朴な食べ物の描写も素晴らしい。ベーコンのサンドイッチが食べたくなった。)また、19世紀の気風を保ちつつも20世紀を生きる町の人々も魅力的だ。
惜しむらくは、私が読んだ版の誤字・脱字の多さである。ちゃんと校正したのか?と疑うミスが多くて閉口した。(上掲の復刊版は訂正されている。)


そして、先日アニメは最終回を迎えた。さようなら、ラスカル。達者で暮らせよ。
アニメの物語が伝えるのは、「野生動物が幸せに暮らせるのは、それに適した環境化においてである。別れが辛くても人間は身を引くべき。」ということ(ストーリー中には他にも保護した動物を自然に帰すエピソードがある)なのに、(私のように)ラスカルかわいい〜と血迷った多くの人々がアライグマをペットとして購入したという。輸入された数は数万頭。そして、予想もしない「凶暴さ」に手を焼いて捨てられたり、野性のパワーと器用さで逃亡したりしたアライグマたちは、ついには日本に根を下ろした。
アライグマは北米原産で、本来日本にいる生き物ではない。そのため天敵もおらず、強い繁殖力で増え続けた。全国42都道府県で目撃され、2004年に開かれた神奈川県の外来種問題シンポジウムでは「2030年頃には関東甲信越全体が生息地になると思われる」との見込みが出ている。これは関東だけの予測であり、より原産地に近い環境の北海道では既に全道的な問題である。
アライグマがいても別にいいじゃん、という意見もある。北海道恵庭市では、1997年にアライグマを害獣として狩猟の対象にし、駆除することを決定した。しかし「人間の身勝手で罪のない動物を殺すのか」という動物愛護団体の強い抗議や、駆除活動を追い回すマスコミに難儀したという。
確かに、アライグマには罪はない。無理矢理連れてこられた場所で、アライグマらしく生活しているだけである。しかし、それは人間の立場からすると、夜に畑や農園を荒らし、家禽や魚などを食べ、旺盛な繁殖力で勢力を伸ばし、時に人獣共通の寄生虫「アライグマ回虫」を媒介するというものだ。
繰り返すが、彼らに罪はない。しかし、放置すれば農業への悪影響のみならず、国内の固有種にしわ寄せが来る。「大量虐殺」などと非難されても駆除を行わざるを得ない行政に、大いに同情したくなる。
そもそも、最も罪が重いのは、アライグマをリリースした放流元である。国外から輸入した野生動物を、「猫と同程度の扱いで飼える」ペットとして販売した業者。カワイイ♪というイメージだけで購入し、手に負えずに捨てた人々。(しかも、「ラスカル」のように、「自然に帰す」という理由で自分を正当化した飼主もいるという。日本は奴らの故郷じゃねーよ。)彼らこそが責任を追及されるべきなのに、そうはならない。まことにくやしい。


そんな軽挙妄動の飼主が著した本がある。
ぜったいに飼ってはいけないアライグマ

二児の母である絵本・児童書作家の筆者は、CMで手を洗うアライグマを見て、小学三年生の息子とともに心を奪われる。そして、その「カワイイ〜」という気持ちだけを動機に、ペットショップで15万円の仔アライグマを購入する。アライグマはおろか、他の野生動物やペットの飼育経験もろくにないのに、である。事前に勉強したり、準備したりすることもない。購入したペットショップの店員も、アライグマの飼育に関しては全くの無知である。
やって来た雄のアライグマ(ぺー太)は、引っ掻くわ噛み付くわ漏らすわ垂らすわ……筆者の想像を超える「野性味」をいかんなく発揮、一家を恐慌に陥れる。「こんなはずじゃなかった」と思う筆者は、最初に反対しながら結局は止めてくれなかった夫を責め、調子のいいセールストークでアライグマを売った業者を責め、そしてこんなにも凶暴なアライグマを「カワイイ動物」と思い込ませたTVCMの製作者にも苦言を呈する。「安易に野生動物をペットにしてしまった自分の大阿呆さ加減に腹が立ち、すっかり落ち込んだ」りもするが、そんな自分を「被害者」だとも思っている。
彼女のスタンスは「無責任な人間が無責任なりにできることだけを義務としてする」という位置にあるように見える。彼女は八年間アライグマを飼った。捨てたり殺したりはしなかった。だが、「飼い始めたからには最後まで面倒を見る」のは、ある意味当然であって、殊更に褒める(誇る)ようなことではない。本来なら、どんな動物であっても、飼い始める前にその覚悟を持つべきなのだから。自ら進んで野生動物をペットにしておきながら、わざわざそんなことを言うのは実に腹立たしい。
そして、するべきこと・避けるべきことについての努力を惜しむのだから、まこと腹立たしい。最初に連れて行った病院で「果物などを主食にし、菓子を多く与えないように」と忠告されたにもかかわらず、晩年に重い腎臓病を患うまで「マーガリンを塗ったトーストとスナック菓子」ばかりを与える。手に負えずに牙を切る。より悪い環境にいるアライグマと比較して「うちに来て幸せよ」と自分に言い聞かせる。そして、大病になって初めて(弱ったアライグマに対して)愛情を抱くようになるのである。
終盤、ぺー太が病にかかる所で私は涙したが、これは「ラスカル」の時のものとは違った。私は怒っていたのだ。
しかし、ペットを飼うということは、ある意味彼女と同じように身勝手な行為なのかもしれない。犬でも猫でも金魚でも、家庭内に動物と共生するならば、彼女のようになりうるのだということを肝に銘じよう……と猫を飼う私は反省した。
Amazonの読者レビューでもけちょんけちょんにけなされているが、自分の恥を赤裸々に書いてまで、「私のように軽い気持ちで野生動物をペットにしてはいけない」と身を挺して示してくれているのだから……まあ、ちょっとだけ大目に見よう。(後悔はしていても反省しているように感じられないという点で、好感を持つには至らぬこと甚だしいが。)
読後感はおそろしく悪い。文体は平易で、杉田比呂美さんのイラストは可愛らしいが、お子様にもオススメできない。理由は……アライグマがマスをかくシーンがあるからである。(知らないで読む子供は恐れおののくであろう。)おかしな表現になるが、誰にも推薦できない本である。
さて私は動物を飼っていいのだろうか?と悩む諸氏には、下記サイトをオススメしたい。(悩んでなくても見る価値あり。名作。)
犬を飼うってステキです−か?(東京都衛生局生活環境部獣医衛生課による、「犬の飼い方ガイド」)
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/eisei/d_suteki/suindex.html


困った飼主の尻拭いとして、(野良猫と同じように)保護したアライグマを避妊・去勢の上で幼ければ里親を探す活動をしている団体もある。
http://r-2.cside1.jp/
これが現状では最も「悪くない」対策なのかなあ。