やむにやまれず

やむにやまれず (講談社文庫)

やむにやまれず (講談社文庫)



私は関川夏央のエッセイしか読んだことがない。「『ただの人』の人生」と、「中年シングル生活」の二冊である。そのため、本書もエッセイであるという先入観で手に取った。最初の数編を斜め読みしても、やはりエッセイと思って疑わなかった。しかし、裏表紙の解説によれば、これは短編集である。そう銘打っているということは、これは少なくともエッセイ集ではない。小説と見るのが妥当だろう。
いかにも、読み進むうちにそれぞれの主人公が異なる状況にあるのが見えてくる。だが、それでもやはりこれをエッセイ、でなければ私小説と読んでしまうのは、これが限りなく実体験に近いフィクションだからなのだろう。実際、「ミラボー橋」の中には「彼」と「私」の記述に混同が見られる。誰のミスなのか、または作為によるものなのかは分からないが。
いずれの主人公も、年の頃は50。ほとんどが未婚若しくは離婚経験がある独り者。旅先だったり、その途中だったりする状況も多い。中年と老年の狭間にいる。昔はコンビニを馬鹿にしていたのに、今では何故かその光に安らぎを覚える。若者に対する不潔感を拭えず、若くもなく年老いてもいない女性に惹かれるが、いざ一対一になると文学談義でお茶を濁すことしか出来ない。結婚している設定である「『統一』と『結婚』」でさえも、完全なフィクションに感じられぬ「何か」がある。
それは、男女の描写にある説得力なのか、厭わしくも懐かしい過去への思いに覚える共感のなせるわざなのか……エッセイではない、ということで却って現実味を感じるのだと言ったら穿ち過ぎだろうか。最初から作り事だとしてしまえば、本当にあった事を書いても、前提でそれは嘘だとされる。
興味深く、面白く、巻措くにあたわずというべき秀作なのだが、読んでいるとサミシクなる。彼の文章を読むと、自分が失ってきたもの、諦めて置いてきたものを振り返って見つめたくなるのだ。色々なことを忘れて前に進もうと思う人間には、時に辛く、喪失感をいや増す一冊である。


何故か、唐突に景山民夫を思い出した。彼のエッセイが好きだったことも。軽妙だが洒脱でなく、俗に走ると同時にスノビズムが鼻に付くあの文章。嫌味と嘘ばっかりで、その癖説得力があった。大好きだった。でも、彼の本はもう一冊も持っていない。全部手放してしまった。
こんなことを思い出して悲しくなる。だから関川夏央は嫌いなんだ。★★★★☆