シービスケット〜あるアメリカ競走馬の伝説

シービスケット―あるアメリカ競走馬の伝説

シービスケット―あるアメリカ競走馬の伝説



私は競馬に興味がない。
賭けたこともないし、競馬場に足を運んだこともない。
騎手というのは、走る馬に乗っかっているだけのお気楽稼業だと思っていた。求められるのは、体重の軽さと、そこそこの運動神経程度であろうと見くびっていた。馬だって、良い血筋の馬を大金払って種牡馬にすれば、将来の名馬を簡単に手に入れられると思っていた。金さえあれば、チャンピオンを買うことができる世界なのだと。
とんでもないことだった。そこには凄まじいまでの現実という名のドラマがあった。


世界恐慌もようやく終幕を迎えようとしていた1938年。アメリカのマスコミを最も賑わせたのは、ルーズベルト大統領でも、ヒトラーでも、ムッソリーニでもなく、ルー・ゲーリッグでもクラーク・ゲーブルでもなかった。その年、新聞が最も多くの紙面を割いたのは、人間ではなかった。それは、足の曲がった小さな競走馬だった。
馬主は自転車修理工から身を起こした西部の自動車王、チャールズ・ハワード。謎めいた過去を持つ寡黙な天才調教師、トム・スミス。エマソンシェイクスピアを愛する、無一文で片目が不自由な騎手、レッド・ポラード。そして、馬の名はシービスケット
彼らはどこからともなく現れた。1936年8月のある土曜日。うだるように暑い夏の日に、一見まるで共通点のない三人が手を組んだ。どうあってもまっすぐにならぬ前脚を持ち、真価を理解されぬまま最も格付けの低いレースで走っていたシービスケットに才能を認め合った男たちは、やがて馬と共に無名の存在から脱することとなるのだ。


サラブレッド」とは、“thoroughbred”と書く。thoroughは「完全な・徹底した・最初から最後まで通して(throughの古い綴り)」というような意味。bredは、breed(繁殖させる・交配させる)の過去分詞形。bredのみで「育ちが〜である」という形容詞でもある。つまり、サラブレッドは完全に管理された条件で繁殖された、先祖を代々遡ることができる「血筋の良い」馬なのだ。
本書のタイトルロール、シービスケットも、伝説的名馬を祖父に持ち、父もまた見事なスピードと美しい体格で知られていた「サラブレッド」だ。当代の名馬と称えられていたウォーアドミラルは、シービスケットの甥に当たる。
しかし、調教師スミスの目に初めて入った時の彼は、発育不良で、腹が地面に付きそうなぐらい体が低く、脚が曲がっているせいでいつも軽くかがみこんでいるように見えた。高名な調教師が、その才能を信じて走らせ続けていたものの、訓練すればするほど扱いづらくなるばかりだった。
しかし、その目には知性があった。「『あいつは鼻先をわしにまっすぐ向けてきた』とスミスはのちにふり返っている。『“あんた、誰?”とでもいいたげな顔で』」
人が名馬を探し当てたのではない。馬が、自分の真価を理解できる男を見付けたのだ。


シービスケットを巡る人々を結び付けていく偶然が語られる構成の絶妙さ、詳細な当時の風俗描写、人物描写の繊細さ、そして息を吐かせぬ緊張感溢れるレース展開を描く筆致たるや……筆者の能力には舌を巻く。過酷な稼業に身を置く“ホースマン”達に幸あれかし、と強く願う気持ちになる。


シービスケット プレミアム・エディション [DVD]

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本書を読むに至ったきっかけは、映画「シービスケット」である。そちらを気に入ったので、原作にも食指を伸ばした。結果としては、双方に出会えたことを嬉しく思える、素晴らしい秀作であった。ノンフィクションが好きな方にも、今まで余り手を出してこられなかった方にも、是非読んでいただきたい一冊。
本書を読むと、映画は原作の良い部分・ドラマチックな状況を、事実を気にせずつぎはぎしていることがよく分かる。現実には映画よりももっと辛く、厳しく、怪我も不運も多かったのだ。
しかし、それで映画の持つ良さが薄れるわけではない。重要なのはリアリティではなく、説得力なのだ。それさえあれば、何も事実のみを羅列する必要はない。ドキュメンタリーではなく、あくまでドラマなのだから。★★★★★