句あれば楽あり



句あれば楽あり (朝日文庫)

句あれば楽あり (朝日文庫)

長寿ラジオ番組「小沢昭一小沢昭一こゝろ」でおなじみ、俳優の小沢昭一俳人でもある(ああ、なんてヤヤコシイ文章だ)。本書は彼が参加している「やなぎ句会」の活動や句作への思いを語る、「俳句エッセイ」である。


幼時、私の両親は子供たちになるべくテレビを見せないようにしていた。電気代をケチったから、ではなく、教育方針の一つである。その甲斐あったかどうかはともかく、その結果子供の頃の記憶にテレビ番組のことはあまり残っていない。
しかし、空気のように流れていたラジオ番組のことは、今でも妙なディテールを伴って記憶の中に留まっている。特によみがえるのが、家族が共にいる時間の長い週末の番組だ。日曜の朝は八時五分から「音楽の泉」。*1カランコロンというベルの音で始まるお昼の「日曜喫茶室」。時間も名前も忘れてしまったが、軽快なオープニングテーマが印象的だったジャズ番組。そして、心浮き立つお囃子で始まる「小沢昭一こゝろ」である。*2
http://www.tbs.co.jp/954/ozawa/
↑にある2005.1.10放送分を聴くと、放送開始から三十二年だという。1973.1.8スタート。学年こそ違え、なんと私と同じ年ではないか。そんな訳で、私はまさに生まれた時から小沢昭一の声を聞いていた……のかもしれない。彼のことはずっと「ラジオのオジサン」だと思っていた。俳優であることを知ったのは後年、大人になってからである。俳句を詠むことを知ったのはもっと最近、五年ほど前のことだ。


さて、私自身は俳句を詠まない。小学生の時にいくつかひねってみたが、あまりのセンスのなさに子供ながら絶望してやめた。季語のない川柳ならまだイケル。「三毛猫や根岸の里の侘び住まい」とか、「三毛猫やそれにつけても金のほしさよ」とか。イケてない?
しかし、人様の詠んだものを読むのは好きである。俳句サイトが「お気に入り」に入っていたりもする。
http://www02.so-net.ne.jp/~fmmitaka/
小沢昭一の俳句に出会ったのも、このサイトの取り持つ縁である。最初に見たのは確かこれ。


疲労困ぱいのぱいの字を引く秋の暮


いいですねえ。疲れてるって言いたい、伝えたい。でも肝心の字が分からないっていうのが困っちゃうねえ。別にいいのよ、漢字じゃなくても。でもねえ、ひらがなだと分かってもらえないでしょ、この、凄く凄―く疲れてるってことがさ。で、一生懸命字引をめくるんだな。なのに、気付いたら伝えるべき相手なんていなかったりする。秋の日は暮れかけて、一人の部屋は薄暗くなってたりする。とほほ、と思う秋の暮れというお話なんでございます。


俳句を「読むのが好き」と言っても、私ごときに巧拙が分かる訳ではない。好きか嫌いかがあるだけである。気に入った句は覚えていて、相応しい状況下で思い出したりして楽しむ。そういったなまくら読者には、小沢氏の句というのは実に居心地がよく口ずさみやすいのだ。上掲の「ぱいの字を引く」なぞは、重い荷物を引きずるのに疲れた旅行帰りなどにしばしば呟いたものだ。
「見なけりゃ作っちゃいけませんか(想像の情景でも句にできる)」と言った久保田万太郎に強く共感している同氏ではあるが、自身の句は地に足が付いている。表現する対象が架空か現実かという区切りではない。読者がその五七五を読んで共感したり、納得したりできるかということだ。生活の中で実感できるだけの確かさが込められている。例え自分が経験していなくても、なるほどねと思える小さな世界がある。重要なのは説得力なのだ。


プレゼントやらずもらわずクリスマス


これなんぞ、まさに我が家のことですな。


センスもユーモアも高名な句友もある。広く評価もされている。慢心しても責めようがない。しかし、彼は実に勉強熱心だ。一番勉強になると言って入門書を多く読み、あちこちに足を運び、よく人の話を聞く。一日一句を心掛け、「どしどし書きどしどし捨てる」ことで良い物を残そうとする姿勢は、写真でも見習うべきところだろう。もってお手本とさせていただきたい。★★★☆☆
句集「変哲」(絶版・重版未定)を探しているが見付からない。どなたかお見かけの際にはご一報ください。

*1:「解説は皆川達夫さんです。」で始まる、マジメで分かりやすいクラッシック音楽番組。子供の頃からずーーーっと皆川達夫さんのような気がする。いつから担当されているのか調べてみたが、不明。しかし、ものすごくエライ方だということは分かった。

*2:今は平日の昼にやっているようなのだが……はて、以前からそうだったっけ?なぜか週末の夕方に聞いていたような気がする。