本棚の上(EOS1)


しかし、
1:分かってしまったものは仕方がない。
2:私を「冷静な文明人」と自称するのは問題がある。
以上の理由から、これは事実として受け入れるしかない。
だが、ただ「世界一」と言うと、ギネスに申請する必要が生じるかもしれないし、キャットショーの世界大会で優勝したと誤解を受ける恐れもある。そこで、少し文明人でかなり日本人な私は謙譲の気持ちを持ち、表現に気を配ることにした。
「世界一の三毛猫」。これでヨシ。(いいのか?)


しかし、世界一でいることは、猫にとってもそれなりに負担だったらしい。
ゲリをした。しかも血便。
若夫婦が経営する近所の動物病院で診てもらったところ、便の中にジアルジア*1という寄生虫と、腸炎の原因となるキャンピロバクター菌がいることが分かった。両方とも人畜共通で症状が出るが、人間は軽くて済むらしい。
問題は猫である。薬は経口で投与するものの、感染ルートを断たないといたちごっこだ。便からうつるので、トイレの後は即座に片付ける。便が触れたトイレの砂を徹底的に捨てる。トイレの箱自体を毎日洗う。世界一って、飼主にもたいへんだ。


名医のお陰で便の調子が良くなった頃、今度は顎の下に傷があることに気付いた。掻き壊したようになっていて、血が滲んでいる。病院の診察時間は過ぎていたが、人間の消毒薬を使っていいものか自信がなかったので、電話して連れて行くことにした。
気のいい獣医師夫婦は、嫌な顔もせずに傷を診てくれた。奥さん(女先生と呼んでいる)が組織を採取し、染色して検査する間、私は旦那さん(男先生と呼んでいる)と「ダニですかねえ?でも、人間は刺されてないんですけど」とか暢気な会話をしていた。うららは、診察台の上で私にくっついて固まっていた。
「センセイ、ちょっと」と女先生が裏から男先生を呼び、私とうららは二人きりになった。数分待たされた後、「ちょっと来てください」と言われ、受付のお嬢さんにうららを任せて裏へと行った。
検査器具や入院中の犬猫を入れるケージが置かれたスペースを進むと、顕微鏡に接続されたモニターに、細胞の画像が見えている。その中にあるでっかい紫色の球体を指して、男先生は言った。
「これは肥満細胞腫です。悪性の腫瘍です。放っておくと内臓にまで転移し、そうなるともう手遅れです。」
もう呆然。「腫瘍って…ガンってことですか?」と聞いた。勿論、「違います」と言って欲しかったのだ。
しかし、先生は真面目な顔で「そうです」と答えた。
「どうすればいいんですか?」
「外科手術で取り除きますが、再発性は高いです。でも、非常に早い段階で見つかりましたから、それは良かった。」
病院を出て、角を曲がり、家人に電話をした。話している最中に小雨が降り出した。私は泣いた。


翌日血液検査をし、その週末に摘出手術を受けた。一回で済ました方がいいということで、避妊手術も一緒に頼んだ。入院の必要はない。朝頼んで、夕方には引き取れる。
朝一番で病院を訪れ、「お願いします」と言ってうららを渡した。彼女を入れてきたキャリアを持ち帰ろうとすると、男先生は置いていくようにと言った。
「僕のジンクスなんです。『来た時と同じように帰る』っていう。」
運を天に、うららを先生に任せ、私は手ぶらで帰宅した。


落ち着かぬ一日を過ごし、夕刻、家人と共に病院を再訪した。
手術は成功。麻酔のせいで若干ぼうっとしてはいるが、うららはうららだった。顎の下にはブラックジャックみたいな縫い目ができていて、下腹は剃られてピンク色ではあったが。
男先生からキャリアを受け取り、私たちは家に帰った。

*1:ふざけた姿だ……。