麦ふみクーツェ

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麦ふみクーツェ
いしい しんじ
新潮社 2005-07
評価

ぶらんこ乗り トリツカレ男 プラネタリウムのふたご 雪屋のロッスさん ポーの話

by G-Tools





 最後の行を読み終えた時、私はどうすればいいか分からなかった。しばらくして、物語の中で出会った様々な人々の色々な人生を思い、じんわりと浮かぶ涙を堪えた。その後、家に一人なのをいいことに、声を出して泣いた。安堵と悔恨と惜別の涙だった。


 図書館で何も知らずに手に取った本である。どんな話なのかも、作者の傾向も、小説のジャンルすら知らなかった。普段は、ジャンルくらいは当たりをつけて読んでいる私である(出版社によってはカテゴリが明確に分かれていたりもするし)。そのため、地図なしに散歩に出たら、そのまま未踏の地を越えて世界一周してきたような気分である。(予備知識・攻略本なしに大作RPGを終わらせた気分と言い換えてもいい。)
 私の拙文で本作に興味を持たれた方がいらしたなら、実のところ同じ目に遭わせたいところである。そんな酔狂な方は、どうかこの先は飛ばして本書を手に取ってみてほしい。本当は言いたいことがたくさんあるけれど、それは一行分ガマンするから。


 さて、実に「風変わり」な作品である。先ほど「ジャンル」について触れたが、読み終えた今でもこれをどう分類したものか迷っている。どことも知れぬ、名前のない国の名前のない町で起こる名前のない人々の物語である……としか言えない。しかし、奇妙な設定や、エキセントリックな登場人物、ひらがなの多い文章に惑わされずに読むならば、これはある少年のビルドゥングスロマン(成長小説)である。
 主人公は祖父に「ねこ」というあだなと、猫の鳴きまねの技を授けられた少年。祖父と父と共に、外国から小さな港町であるこの町に引っ越してきた。生まれた土地の記憶はない。母の思い出もない。どちらのことを尋ねようとしても、祖父と父は暗く言葉を濁す。
 祖父は港町の吹奏楽団をしごく音楽家にして、名ティンパニ奏者だ。「打楽器こそが音楽の根元、そして華」と主張する彼は、素人楽団を根源であるリズムから叩き直していく。
 大学教授に迎えられるつもりでこの町に来た父は、結局小中学校で教える数学教師となる。彼の野望は、世界中の数学者が頭を悩ませるある問題を証明すること。学会に認められず、素数に取り付かれた彼は、徐々に正気の道筋から逸れていく。
 小学校に入ってすぐ、祖父と父に挟まれて眠る少年は家の中に不思議なリズムを聞く。とん、たたん。とん、たたん、とん。目を開くと、黄金色に輝く平原を、黄色い服に黒い靴の男が足を踏みしめながら横ばいに歩いていく。それが少年とクーツェとの出会いだった。思わせぶりな言葉しか発しない彼の声は、時折少年の耳に届く。リズムは消えることなく彼の内に満ちる。とん、たたん。とん、たたん、とん。
 リズムとメロディー、猫の声と物を叩く音が町に溢れる。音を発する全てが楽器なのだ。世界中の三面記事のスクラップ、殴りあう子供たち、誰かの思い出……全てが音楽になる。少年はそれを学んでいく。
 しかし、やがて港町に不吉な船が現れた時から、彼の家族と町全体が「まっすぐに歩けなくなる」。根元であるリズムが狂ってしまえば、人生という音楽もまたうまくはいかないものなのだ。
 そして、旅立ちの時。彼が求めるものは見付かるだろうか。どこに?そして、それは何なのだろう?


 私が読んだ理論社版では、「YAシリーズ」というカテゴリに入るようだ。ヤングアダルトということなら、10代後半以上の読者層をターゲットにしていることになる。(まさか「ヤザワA吉」ということはないだろうし。)作中で主人公「ねこ」は小学生から18歳までを過ごす。本作のような子供時代を過ごす人はまずいないだろうが、それでも読者は「ねこ」の心情に寄り添い、彼が心動かされる出会いや別れ、偶然と運命に酔うことだろう。彼が「あめ玉ください」という言葉を胸に秘めて生きてきたことが分かるだろう。
 村上春樹スティーブン・キングを彷彿とさせつつも、あくまでいしいしんじの作風は独特である。出会えたことを真に幸福に思う。
 今も私は泣いている。しかし、実のところ何故なのかはよく分かっていないのだ。★★★★★