生物学的母親学級

 現在通っている病院の産科では、初産予定の妊婦を対象とした「母親学級」なる講習会を催している。正式には「両親学級」といい、父親の参加も歓迎されているらしいのだが、何故か皆さん口に出して言う時には父親を抜いてしまうようだ。また、実際父親の出席率は低い。
 しかし、妊娠と出産に日常的に興味津々な男性というのも少なかろうから、機会がある時は積極的に参加すべきだと私は思うのだ。折角のチャンスだ。今まで関心のなかった分野について知識を得ればまた楽しからずや。それに無料だし、出席者は若い女性ばっかりだし(全員妊婦で人妻だけど)、講師はナースと女医さんだし(おばちゃんだけど)。いいこと尽くめだ。
 そんな訳で、先日第二回目(全三回)に家人を誘った。出席者中唯一の♂だったらヤダなあ、と愚痴るのをなだめすかしての同行である。幸いにも、当家の他にも一組夫婦での出席者がいた。年齢は我々より一回りほど下で、人前でいちゃいちゃする情熱度は我々と比較にならないほど上のカップルだったので、残念ながらオトモダチにはなれなかったが。
 ともあれ、少人数の講習はなごやかに始まった。入院手続についての連絡、事前に調達すべきベビー用品に関する実用的知識、母乳育児のレクチャー……ふと家人を見ると、必死になって睡魔と闘っている。無理矢理開いた目が怖い。眠気防止のミントを渡すと、ばりばりと噛み砕いている。そりゃあ色気皆無で聞くオッパイの話なんて退屈だよなあ。


 その後、リアルな赤ん坊人形で抱っこの練習というのをやった。この人形、重さが3,000g。新生児の標準的体重と同程度であるという。
 しかし、いざ抱き上げてみると、これが実に重い。重量配分も正確らしく、頭がより重くなっているので、生半可な抱き方では肘からするりと落下させそうになってしまう。出席者の若い女性(ほとんどの人が私より若いのだが)が、講師である助産師に質問した。
「もっと重い友人の赤ちゃんを抱っこしましたが、これよりも軽く感じました。この人形は本当に3キロしかないんですか?」
「お友達の赤ちゃんは起きてたでしょう。この子は、寝ているのと同じだから重く感じるの。」
 一人だったら黙っていただろう。でも、すぐ隣に家人がいたので私は言った。他に聞こえないほどの、小さな声で。
「死体は重いっていうもんね。」
 後でしこたま叱られた。


 講習会後半は、医師による「こどもへの関わり方について」の講義だった。妊娠時の体の状態や機能、月齢ごとの胎児の状態(これくらいになると外部の音が聞こえますから、両親で声を掛けるようにしましょうetc.)、出生後のコミュニケーションなどについて学んだ。
 そして、医師は胎児の発達を図示するのにある本を用いた。

photo
赤ちゃんの誕生
ニコル テイラー Nicole Taylor 上野 和子
あすなろ書房 1996-08

by G-Tools , 2006/10/21



 これが凄い!ファイバースコープを利用して撮影された胎児などの写真による絵本である。受精し、着床し、卵割し、内胚葉と外胚葉に別れ、サカナになり、カエルになり、徐々にヒトの姿を取り始める様子が克明に描かれている。(何故かアメリカの菓子のようなケバケバしい色合いで。)胚葉なんて言葉を聞いたのは一体いつ以来だろう?(胚葉、シルバー……言ってみたかっただけです。)生物は苦手だったはずなのに、私は何だかわくわくしてきた。
 医師はページをめくりながら解説を続ける。あるページではまだ「水かき」がある胎児の手が、次のページでは五本の指に分かれている。
「この『水かき』の細胞がアポトーシスを起こして、自然に指が分かれる訳です。」
 アポトーシス
 まさか、この言葉を実生活で聞く機会があるとは。私はわくわくを通り越して、必要以上に感動し始めた。


 アポトーシスとは、生物を構成する細胞が自分の役目を終えたり、不要になると、自ら死ぬ(自殺)現象のことである。胎児に見られる手の水かきが体の成長と共に消えていく過程、両生類の尾の退化などがこれに該当する。
 私がこの言葉を初めて知ったのは、ライアル・ワトソンの「ロミオ・エラー」*1を読んだ時だった。
 これは、「死とは何か、どこにあるのか」を探る科学エッセイである。この中に、「死を内包しない生命はない」という考え方が出て来る。生命が誕生した途端に、その細胞のいくつかは「自殺する」。そうしなければ、適切な「かたち」に成長することは不可能なのだ。この「細胞の死」を故意に阻害すると、生命は正しく機能しなくなってしまう。死とは命の一部なのだ。
 今、私は生命の揺籃となっている。日々数グラムずつ目方を増すこの生命(中の人)は、私の中で細胞を増やしたり殺したりしながら息づいている。その手には既に定められた死があるのだと思うと、メーテルリンクの「青い鳥」を思い出す。チルチルとミチル兄妹が「未来の王国」で出会う、「難病や貧困を携えて生まれ、やがてすぐに亡くなる赤ん坊」を想起させられるのだ。今生きているということは、いつでも死ねるということなのだ。
 だが、それが生命の正しい姿なのだろう。病院の検診で、大きな聴診器を腹部に当てる。ぽくぽくぽくと早い鼓動が聞こえる。生きているのだ。いつか死が訪れることを知りながら、それでも生まれることを選んだのだ。
 生きていること。いま生きているということ。あなたの手のぬくみ。いのちということ。*2


 すっかり感動しまくった私は、帰途家人に「あの本(『赤ちゃんの誕生』)買おうよ」と言った。家人は心底嫌そうな顔をして、ヤダよと返した。
「なんで?」
「怖い。」
 うーん、確かにちょっとグロテスクかもしれない。半透明でぐにゃぐにゃした生き物の写真集みたいなものだからなあ。しばらくたって、冷静になってからも感動気分が抜けなかったら買おう。ちょっと高い(¥2,520)んだけど……。
 次回の「母親学級」は、3ヶ月飛んで12月開催。出産直前講習ということで、呼吸法(ラマーズ法)を学んだりするらしい。「生物の授業」はもうないと思うと少し寂しい。

*1:

ロミオ・エラー―死の構造と生命体 (ちくま文庫)

ロミオ・エラー―死の構造と生命体 (ちくま文庫)

*2:「生きる」谷川 俊太郎