私は青木まり子



 「青木まり子現象(又は症候群)」というものをご存知だろうか。今度の試験に出る?と不安になった医学生のために慌てて言い添えるが、これは疾患として医学的に認められているものではない。簡単に説明申し上げるならば、「本屋にいるとトイレに行きたくなる現象」を仮に表す用語である。


 さて、この「青木まり子」とは何者か。試みに「Wikipedia」で検索すると、「五つの赤い風船」とか「シモンズ」とかが出て来たりしてしまうが、この方とは関係ない……たぶん。


 だから誰なのよ!とおすぎに怒られる前に書くならば、彼女はある一人の投稿者である。投稿先は「本の雑誌」。そしてその内容こそが「本屋に行くと何故か便意を催す」というものだったのである。これが10年ほど前のことだそうで、当時同誌では我も我もと同様の現象を訴える投書者が殺到し「青木まり子ブーム」が巻き起こったそうな。そこで、「大」だけではなく「小」を催す人もまた多いと判明、総合的表現として「トイレに行きたくなる」と収まったらしい。


 かくいう私も本屋に行くとトイレに行きたくなる体質である。憚りながら、「大」の方である。便通が渋滞気味の時、きれいなトイレがすぐそばにある大型書店にわざわざ行っていたくらいだ。
 しかし、この現象の原因は未だ特定できていないようだ。Web上でざざっと探してみても、これだ!というものに絞られてはいない。
 曰く、書籍に用いられるインクのにおいに催便性がある。
 曰く、本は人をリラックスさせ、弛緩した体は排泄を要求する。
 曰く、狭い空間に少ない運動量で佇み続けることが便意を誘う(トイレにこもっているのと同じ、ということだろうか?じゃあ何で私はトイレでふんばらにゃならんのだ)。
 曰く、伏目がちに物を見続ける姿勢が便意を誘う(これが正しかったら電車で本など読めんな)。
 曰く、「本屋にはトイレがない」というプレッシャーで逆に排泄欲求が高まる(だからトイレはあるんだって)。
 さて、この中に「正解」はあるのだろうか?


 人によっては「インクのにおい説」に大いに共感されたりもしているようだが、私に限って言えばそれはない。他の要因も全く該当しない。
 「インクのにおい説」を力強く否定できるのには充分な理由がある。それは、ある条件さえ満たせば本屋でなくとも(家の中でも!)同じ現象を再現できるからである。また、ある別の条件を満たしたならば、本屋にいても「青木まり子」にならないことがあることでも証明できる。
 インクのにおいが私に影響を及ぼすならば、当然「現象」が発生してもおかしくない状況でそうならない場所がある。それは、同行者の付き合いで訪れた書店内の(自分がまるで興味のない分野の)専門書コーナー。あるいは、予約した本を引き取りに行っただけの図書館。全く同じ場所(書店・図書館)でも、自分が興味のあるカテゴリのコーナーにいる時や、書棚の間をそぞろ歩いて借りる本を決めようとする時には「青木まり子」が降臨するのに、である。
 ここから導けるのは、私に「青木まり子現象」が発生するのは「自らの意思で大多数の候補の中からごく少数を選択する」という状況下においてであるということだ。これを更に敷衍させると、対象は何も書籍に限らないということになる。そう、自宅でだって発生するのだ。
 ここで用いるツールが「インターネット」である。「大多数の候補」をリストアップするという点において、これに勝るものは中々あるまい。そして、「少数を選択する」ことでオススメなのが「通販サイト」である。買うものが決まっている場合などには上手く作用しない。予算の範囲内で候補を絞り絞って決定する、という行為が私をトイレへと導くのである。インクのにおいなどどこにもない!
 なぜこんなことになるのだろう?「どれにしようかな?」という楽しい迷いが、どの神経をどう通ったら「排便セヨ」という指令に変わるのだろうか。この説を説明できる方がいたら、是非ともうかがいたいものである。


 つい先日、「妊婦服」を通販サイトで購入した。今まで馴染みのない分野であり、また継続して使うものでもないので大いに悩んで候補を選出した。あーでもないこーでもないと「買物かご」に商品を入れたり出したりする内に、突如催してトイレに篭った。すっきりとした気分でトイレを出ると、妊婦の体調に(本人より)過敏になっている家人が「大丈夫?お腹壊した?」と尋ねてきたので、「青木まり子現象」について説明した。
「ということでね、こういう作業しているとこうなるのよ」
「……ヘンだよ、それ」
 家人は「青木まり子」と無縁のようである。ヘンでもいいのだ。そう、私は「青木まり子」。選択と排泄の直結した女。


 最後に付け加えておくが、これはあくまで「大多数」の候補からの選択を行う場合にのみ発生する現象である。
「おかえりなさ〜い、ダーリン。お風呂にする?ご飯にする?それとも……」
「トイレ」
 というような場合には「青木まり子現象」であるとは認められない。なお、上記会話はあくまでもフィクションである。