寿司と感傷



 どうしたものだか、育児書を山積みにして読んでいるくせに、今ひとつ「ワタシお母さんになるのね」という気分になれない。こうなったらこうしよう、ああなったらどうしようなどと心構えや不安ばかりが積もっていくのだが、具体的な準備もまだまだである。何故か哺乳瓶と(車に付ける)チャイルドシートだけは買った。他には本以外何も購入していない。腹を蹴る「中の人」に話し掛けるより、うららの機嫌を取っている時間の方が長い。
 こんなんでいいのか。
 もっと「母になる日のために」気分を高めた方がいいんじゃないんだろうか?
 しかし、どうすれば盛り上がれるのだろう。イメージトレーニング?どうやるんだ?近所の保育園でも盗撮するか?


 犯罪に走るのは良くないので望遠レンズを持ち出すのは控えたが、依然として気分は盛り上がらぬままである。帰宅途中に豆腐(2丁¥180)など買って、とぼとぼと家路を辿っていた。豆腐屋のおばちゃんには「楽しみですね」と言われたけれど、笑顔で「そうですね」とは答えたけれど、どうにもピンと来ない。日暮れて四方は暗し。気分もダークになってきた。
 こんな陰気な母親から生まれる子供は気の毒である。アホの坂田師匠にでも養子に出したほうがいいかもしれん。まだ産んでもいないのにマタニティブルーである。準備が早いのも考え物だ。


 その時、私の脇を自転車に乗った親子連れが通って行った。スカートにストッキングのお母さんと、その後ろにちょこんと乗った制服姿の女児である。幼稚園の制服だろう。リボン付きの帽子が可愛らしい。
「お母さん、今度お弁当におスシ入れて」
 少女の言葉のその部分だけを私の耳に残し、二人を乗せた自転車はすいすいと過ぎて行った。


 ふいに鼻がつんとして、視界が涙で滲んだ。
 急いで人通りの少ない脇道に入り、足を速めた。
「お母さん、今度お弁当におスシ入れて」
 いつか、私もあんな風に言われるのかもしれない。実際、私も幼稚園で見たクラスメートの弁当を羨ましく思い、母に奇妙なもの(ホットケーキとか焼きそばとか)をねだったことがあるではないか。
 いつか、小さい人間が当然のように私を「お母さん」と呼ぶのだ。きっと。
 私がお母さんになる?なんておかしなことだろう。でも、そう遠くはない未来に充分あり得ることなのだ。私に子供が生まれるのだ。どうしよう、突如として必要以上に盛り上がってきたぞ。
 ユウウツになるのは習いのようなものなので、この先もまた色々とブルーにはなるだろうけれど、あの少女の声を思い出せばきっと無闇に盛り上がれる。お母さんになるぞー、なってやるぞー!


 ところで、お弁当に入れるお寿司って……「すし太郎」でいいかな?