うららとかん子



 退院後、帰宅した私が一番にしたのは、うららとかん子を引き合わせることだった。
 寝ていたうららのところへ赤ん坊を連れて行き、その横に置いた。
「うらら、かん子だよ。よろしくね」
 寝起きのうららは、おっかなびっくり赤ん坊のニオイをかいだ。敵意も怯えもないようだったので、私は安心した。


 だが、その後かん子が一声「めえ」と発するや、うららは恐慌に陥ってしまった。脱兎のごとく逃げ出し、ベッドの下に避難。腰は可能な限り下げ、シッポは床をこすり、耳はぺったりと寝ている。だが、恐怖心と好奇心がせめぎあっているのか、しばらくするとその姿勢のまま慎重に慎重にかん子の眠るクーハン(乳児用簡易ベッド)に近付いて来た。2mの移動に数分掛け、クーハンを最大限避ける迂回ルートを通って来る。
 もっとも距離が縮まったその時、かん子が手を動かした。途端に、うららはすっ飛んで逃げた


 うららは臆病だが、決して弱虫ではない。アプローチは続いた。
 ファーストコンタクトから十時間ほどが経過した頃、うららはクーハンそばのちゃぶ台上まで到達した。長い道のりだった。おそるおそるかん子を覗き込み、鼻をピクピクと動かした。
 その時、またかん子が身じろぎをした。だが、今度のうららは逃げなかった。その代わり、「しゃぁぁああ」と威嚇する音を出した。「あんたなんか怖くないわよ!」という意思表明であろう。つまり、わざわざアピールしなきゃならんくらい本当はコワイのよ、ということだ。
 当然ながらかん子さんはまるで気にしない。あくびをして眠り続けた。うららはまた逃げ去った。


 その後、うららの「恐怖心克服プログラム」は一日半続き、二日後には平常心でかん子を観察できるようになった。かん子がバタバタしても怖くない。「めええ」と鳴いてもどうということはない。そして、威嚇音を出すことも二度となくなった。
 かん子はまだうららを認識できていない(たぶん)。いつか彼女の世界がもっと具体的になった時、そこには当たり前のように世界一の三毛猫がいるのだろう。そんなかん子さんが、私は少し羨ましい。


 ソファでかん子を抱いていた。家人が来て、少し間を空けて座った。ソファの足元にうららが来て、私達を見上げた。
「うちは四人家族だよ」
 家人がそう言うと、うららは私達の間に飛び乗った。我が家は四人家族なのだ。