性犯罪被害にあうということ

性犯罪被害にあうということ性犯罪被害にあうということ
小林 美佳

朝日新聞出版  2008-04-22
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24歳の夏に、道を聞くふりをして近づいて来た2人組にレイプされた著者が、如何にして同様の被害に苦しむ人々の助けになるべく、本書を著すに至ったか、を綴ったドキュメント。
非常に読むのが辛く、何度も動揺して本を閉じたが、読むだけの私に何の苦労があろうか、と奮起してどうにか読み終えた。
事件を回想するだけでなく、自らの振舞を冷静に振り返り、それを提示する著者の勇気に感服する。
どんな犯罪でも、被害者がそれを誇ることなどないだろうが、性犯罪の被害者は、それについての感情を吐露することすら妨げられる「風潮」がある。何故だろう?
かく言う私も、痴漢被害に遭った際に、真っ先に覚えたのは自己嫌悪であった。本来であれば、加害者を憎むだけで済むはずなのに、そんな目に遭った自分が、それまでの自分を貶めたように感じるのだ。不合理な恥の感覚が、自らを苛んだ。自分すらも味方になれない。
著者も、何故自分が「汚れてしまった」と思うのか考え続ける。「恥ずかしいことじゃない」「傷付く必要はない」と。しかし、「いくら自分に言い聞かせ、納得させようとしても、自分の気持ちがおさまらない。」
同性の私でも、著者の苦しみを自分のものとしては理解できない。ましてや、男性がこのような感覚を共有することは難しいだろうと思う。だからこそ、せめてこのような勇気ある女性の声を聞き、考える時間を持ってほしい。


以下蛇足。
性犯罪被害について、自衛によって防止できると主張する人がいる。例えば、Amazon本書レビューより。

空巣に入られる家、入られない家。 
ストーカーに遭う人、遭わない人。 
詐欺に遭う人、遭わない人。 
犯罪に遭う人、遭わない人。 

犯罪は悪い。それでも、一定数は、犯罪を犯す人はいる。犯罪が減った統計はあるが、ゼロにはならない。 
ならば、被害者側も用心するしかないのではなかろうか? 
日が暮れて、一人で外に出ない、など自衛も必要ではなかろうか? 
  
ドラマなどでは、夜の公園がロマンチックな設定で出てくるから危険だと認識されていない事もあるのだろうか? 

この人は、決して悪意でこのように言うのではないし、また一般的にはこういった意見が常識なのかもしれない。現実的な善意の人。しかし、私はあえて申し上げたい。このような考えが、被害者の言葉を奪い、心を傷付けるのだと。
犯罪被害にあうのは、用心が足りないから。辛い目にあった人は、何か落ち度があったのだ。私には関係ない。だって、用心してるもん。暗くなったら、一人で外出しないし、真夏でも肌の露出するような服は着ないし。*1
こんな風に言う人には、幸いお会いしたことはないが、実際に目の前にしても、何も言えないだろうなあ。言えないなりに、思うことを書く。
あなたは、犯罪にあわないがために女性の自由を制限するのを当然としているし、犯罪があって当たり前という認識を示すことで、犯罪者に口実を与えているとは思いませんか?夜一人で歩いている女性がいたら、襲われて当然だと思いますか?私はそんなの嫌なんです。悪いことをした訳じゃない、ただ怯え方、自衛の意識が足りないというだけの理由で、酷い目にあったり、それを慰められるより先に責められるようなことを、当たり前とは思いたくないのです。
理想論は、犯罪の抑止にはならないのだろう。だが、諦めるより、犯罪者の都合に合わせるよりは、誰でも、何時にでも、どんな服を着ていても、安心して歩ける社会を望みたい。そのために、何ができるか考えたい。娘には、用心しなさい、気を付けなさい、といずれ言うであろう矛盾を内包しつつ。  

*1:次のような報告もあり、油断や服装は性犯罪誘発因子にならない、ということも考えられる。「性犯罪の加害者553名について、被害者逮択の理由や強姦神話に対する考え方を分析した。その緒果、加害者が被害者を選択する理由は、主として、「おとなしそうに見え」たり、「警察に届け出ることはない」と考えたりした結果であり、「挑発的な服装」や「スキが見える」などの被書者側の責任は、ほとんど理由とはなっていない。」(「性犯罪の被害者と加害者」内山絢子(科学警察研究所防犯少年部付主任研究官)抄録より