卵をめぐる祖父の戦争

「心配するな、友よ。きみを死なせはしない」
まだ十七だった。愚かだった。だから彼を信じた。

卵をめぐる祖父の戦争 ((ハヤカワ・ポケット・ミステリ1838))卵をめぐる祖父の戦争 ((ハヤカワ・ポケット・ミステリ1838))
デイヴィッド・ベニオフ 田口俊

早川書房  2010-08-06
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内容紹介/Amazonより
「ナイフの使い手だった私の祖父は十八歳になるまえにドイツ人をふたり殺している」作家のデイヴィッドは、祖父のレフが戦時下に体験した冒険を取材していた。ときは一九四二年、十七歳の祖父はナチス包囲下のレニングラードに暮らしていた。軍の大佐の娘の結婚式のために卵の調達を命令された彼は、饒舌な青年兵コーリャを相棒に探索に従事することに。だが、この飢餓の最中、一体どこに卵なんて?――戦争の愚かさと、逆境に抗ってたくましく生きる若者たちの友情と冒険を描く、歴史エンターテインメントの傑作

以前、「99999(ナインズ)」で私をいたく感心させた*1デイヴィッド・ベニオフによる……ええっと、これは何?冒険小説?戦争小説?青春小説?ジャンルがなんであれ、これは間違いなく世界中の青少年必読必携の小説である。推奨年齢18歳以上。私は、ドキドキしたり、そわそわしたり、笑っちゃったり、ぞっとしたり、とても忙しく、楽しく、またしみじみと読んだ。細部にはうんことかファックとかオナニーとかが横溢しているが、登場人物の一人が「あんたたちはいつもちんぽとお尻の話ばっかりだね」と言いもするが、それでも若者たちから本書を遠ざけるべきではない。読むべし。★★★★★


「99999(ナインズ)」の際に書いたものを引用する。

99999(ナインズ) (新潮文庫)99999(ナインズ) (新潮文庫)
デイヴィッド ベニオフ David Benioff

新潮社  2006-04
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 文章を書く才能には、様々なものがある。中でも私が憧れるのは、「映像的な文章」の才だ。一読するだけで眼前に描写されたものを想像できるような文章。手触りや香り、温度や湿度を感じたように錯覚できる文章。この作者には、間違いなくその才がある。(映画の脚本を書いているそうだが、それが当然に思える。)匂い立つような雰囲気を行間に含む短編集だ。
 いつもなら「オチ重視」の私だが、この作品には謎が全て解ける結末や、カタルシスが充足されるグランド・フィナーレはない。それで構わない。ごく小さな着地点が最後に用意されていて、そこに立って上を見ると、それまでの物語が星のように天蓋を彩っている。長い長い誰かの物語のある一部分を、極めて巧みに切り取ったような感がある。

本作においても、賞賛のポイントは「映像的な文章」だ。瓦礫の街ピーテル*2の様子、その暗闇の中に聞こえるピアノの音、凍りついた森…根拠もなく断言するが、この小説の映画化は近い内に実現するだろう。それが、本書同様傑作になりうるかどうかは不明だが、私の目の中に浮かぶ風景を、もっと力強く思い描き、モノにしたいと願う映像作家は珍しくないと思う。
また、視覚のみならず、本作では味覚を刺激する描写が多く、私はお腹がすきました。900日の包囲の中だ。大したものが出るわけもない。しかし、主人公たちはいつも飢えていて、読者である私にも、その飢えが及んでいたのだ。文章に力がある証左であろう。
それらと同時に、長編小説には欠かせない*3魅力的なキャラクタ設定も実に素晴らしい。「脱走兵」コーリャの人物造形がなかったら、この物語は今ある半分も面白くないだろう。伊坂幸太郎作品の登場人物を想起させる、口から先に生まれたような美男子である。再度映像化の話をするならば、その作品の出来は、コーリャのキャスト選びにかかっている。
また、パルチザンの狙撃手ヴィカの存在感といったら、初登場の時から、私の目の前に実体を伴って現れたかのようだった。とは言っても、想像力の乏しさは悲しく、彼女の姿は「プライミーバル」のアビー・メイトランド(ハンナ・スピアリット)なんだけどね…。

*4

他にも、私好みの要素がてんこもりなのだが、詳細を聞かせるのはもったいない。ぜひ、手に取って読んでほしい傑作である。
クリスティやブロックの翻訳でお馴染み、田口俊樹氏の訳も良い。*5


ところで、子供の頃、家に「900日の包囲の中で」という本があった。母が子供たちのために買ってきてくれたものだったが、私は戦争ものが怖くて、手を出さなかった。姉は読んだかもしれない。タイトルからして、レニングラード包囲戦の話だったのだろう。今さら興味を持ち、探してみると、どうやら長らく絶版らしい。今度、両親宅で探してみるつもり。

九〇〇日の包囲の中で (創作児童文学 27)九〇〇日の包囲の中で (創作児童文学 27)
ユーリイ・イワノフ 宮島 綾子

岩崎書店  1982-07
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*1:自分でこういう書き方を選択しておいてなんだが、何て偉そうな態度なんだろう!私は何?有名評論家か?私に褒められると、作家は嬉しくなってちびっちゃうくらいの大家なのか?ええい、そうじゃないけど、偉そうな態度が好きなんだ。それに、ナインズはほんとーに、ほんとーに良い短編集だった。まことに感心。これからもがんばりたまえ、デイヴィッド。

*2:レニングラードサンクトペテルブルクの愛称

*3:不愉快で退屈な主人公と長旅をするのは耐え難い。それが十数ページならまだしも、350ページほどあるのだ。主人公を呪い、早く死ね!と思わずにいられないなら、その作品がどんなに評価されていても、私には無価値だ。

*4:美人の後ろにいるボンクラは、ドラマ「プライミーバル」作中で彼女と恋に落ちる設定で、実生活でも婚約しやがった俳優アンドリュー・リー・ポッツ。

*5:って、本当に偉そうだな、おい。