さよなら、佐野洋子
どんなおばあさんになりたいかなどという質問はナンセンスだと思う。もうほとんどおばあさんではないか。ある日急におばあさんになるのではなく、二十四歳の若さのおごりの頃からジワーリ、ジワーリ始まっているのだよ。そこのお嬢さん。いや五歳の女の子だって見ていると八十のその子のなれの果てがすけて見える。要するにその人以外のバアさんなどにはなれないのである。
私は私のままでバアさんになる。
注文なんかなくなって、下手な絵を好きなだけ好きに描いて、気が向いたらSF小説なんか書く。SFは科学的知識が必要で無理だったら、殺人ものでも書き、殺したい人を次々に思いうかべてもう片っぱしからバラバラにしてやる。食い物に異常に執着するようになると聞くから、一日がかりでも芋の雑炊なんか作ってフウフウ食べる。金がないにきまっているから、美食は体によくないと納得する。口が悪いのはたたき上げだから、「あのババア可愛げがない」と若いもんに嫌われるようにする。これが深い思いやりなのよ。私が死んだら、アー、もっと優しくしてやればよかったなどと周囲が気を病まないようにね。
「あのばあさん野たれ死んだけど自業自得だよ」と了解をつけさせてあげたい。
私が死んだと同時に、私のまわりのどんな小さな紙切れでもパンツでもシュワーッと消えて地面にすい込まれて行ったら、どんなにいいだろうと思う。
「がんばりません」より「シュワーッと消える」
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http://megalodon.jp/2010-1106-0711-42/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101105-00000009-oric-ent
『100万回生きたねこ』 作家の佐野洋子さんが死去
さようなら、さようなら佐野洋子。さよなら、さよなら、私の一部。
私達が老いて、誰にでも死が近づいている。これから生き続けるということは、自分の周りの人達がこんな風にはがれ続けることなのだ。老いとはそういうさびしさなのだ。
一カ月前床をたたいて泣いたのに、今、私はテレビの馬鹿番組を見て大声で笑っている。生きているってことは残酷だなあ、と思いながら笑い続けている。「神も仏もありませぬ」より「何も知らなかった」
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