月をなめるな

金曜の夜に、久し振りに中学・高校時代の旧友に会った。重たいセーラー服に身を包み、6年間を共に過ごした「ナ行」の4人。(要は、出席番号順の縁である。)
非常に楽しかったのだが……ここで一つ問題が発生。
私の数字に対する弱さが尋常ではない。
新住所に転居してからもうすぐ5ヶ月になるというのに、何丁目何番地に自信がない。「すごく久し振りだね〜」と言いつつも、どれくらいなのかさっぱり計算できない。その他にも、身長・価格・年齢を覚えていないわ算出できないわ、ひどいもんだ。(それぞれ「自分と比較した高さ」「感覚として平均より高かったかどうか」「干支は何か」は分かっている。)
最後の方にはそれが持ネタみたいになっていた。父親の年齢、友人の子供の年、一人暮らしをしていた年数、自分が何をいくつ持っているか、安かったというのは金額にすると何円なのか、何を聞かれても、「えーっと……数字だからちょっと分かんないな」。もう笑うしかない。


しかし、これはトシだからとか、サングリアを大ピッチャーで頼んだからとかが原因ではない。
元から数字と科学にとことん弱いのだ。科学に弱いことは、数字の比ではない。もっとひどい。
例えば、皆さんは「月でボールペンを落とすとどうなるか」ご存知だろうか?
まずはこちら(「月をなめるな」)をお読みいただきたい。
面白いので戻ってこないかもしれないが、話を続けよう。
私はコレを読んで失笑し、「こいつらバカか」と思っていた。「重力がないんだから、パラシュートなんていらないのに。全く、無知ってのは恐ろしいねぇ。」とか考えて笑っていた。


しかし、その次にこれを読み、本当に恐ろしいのは自分の方だったと知ることになる。

>「月でボールペンを手から離したらどうなると思う?」
>「ぷかぷか浮くんじゃないの?」
>(・_・) (あまりのことに目が点)

という親子の会話なのだが、私は何故この答えが悪いのか分からなかった。(だって月は無重力じゃん!)


続けて「Philosophers on the Moon」という文章を読んだ。(アラン・リックマンの写真の下)
英文なので簡単に意訳。

「6-7年前、私はウィスコンシン大哲学教室に在籍していた。科学、工学に強い大学だ。教授助手(TA)がデカルトについて説明していた時のことだ。彼は『物事は常に我々の思うとおりに運ばない』ということを説明するために、次のように言った。
『地球上でボールペンを離すと、必ず下に落ちる。でも、月面上で同じことをしたら、ふわふわと漂うだろ。』
私はぽかんと口を開けて『なんだって?!』と言った。しかし、TAの言葉に驚いているのは、自分のほかには友人のマークだけだった。他の17人は『どうしたっていうんだ?』といった感じ。
『でも、月面だってペンは下に落ちますよ。ゆっくりとだけど。』
『いいや』TAは静かに説明した。『なぜなら、地球の重力から遠すぎるからね。』
『でもでも、あなたもアポロ宇宙飛行士たちが月面を歩いているのを見たでしょう?何で彼らはふわふわ漂っていなかったんですか?』私は反撃した。
『それは彼らが重いブーツを履いていたからだよ。』彼はそれで完璧な説明になるかのように答えた。(これが山ほど論理の授業をこなした哲学教室TAの発言か!)
教室を出ると、マークが怒っていた。『どうやったらあんなにアホになれるってんだ?』
我々は、彼らは本当は知っているのに忘れているだけかもしれない、と理解しようとした。そうなると、ほとんどの人が同じ過ちを犯しているのかもしれない。それを証明するため、我々は電話帳から無作為に選んだ30人に下記の質問をした。
1:月面でボールペンを離したらどうなるでしょう?
 aふわふわ漂う
 bその場で浮いている
 c地面に落ちる
約47%が正解した。間違えた人たちには次の質問だ。
2:アポロ宇宙飛行士が月面を歩く映像を見ましたね?彼らは何故歩くことが出来たのでしょう?
約20%がこの質問によって第一問の答えを訂正した。しかし、最も驚くべきことに、第二問に答えた約半数が自信満々でこう言ったのだ。
『それは彼らが重いブーツを履いていたからだよ。』」



事ここに至って、私はようやく自分の間違いに気付いた。そして、恥ずかしさに赤面し、その責任を他の人になすりつけることにした。
例えば、>(・_・) (あまりのことに目が点)という反応を示すであろうこの人に……その顛末はこちら
というわけで、去年から私は知っている。月には重力があるということを!
進歩したんですよ……これでも。