博士の愛した数式

博士の愛した数式

博士の愛した数式



最初に申し上げるが、本書は今年私が読んだ本の中で、間違いなくTop5に入る秀作である。出会えたことを喜び、取りあえず新潮社に感謝したくなる一冊だ。
未読かつ、いつか読もうと思っておられるならば、どうかこの先は読まないでほしい。
真っ白な心で対面し、読み抜き、味わっていただきたい。
すばらしい、すばらしい作品である。


私は少年と老人と動物に弱い。人間が起こす奇跡と、人知を超える天の配剤にもくらっと来る。
別段珍しくもない、ごく一般的な「趣味」だ。
そして、本書がベストセラーになったのは、そんな普通の私達に強く訴えるものがあったからだろう。何と言っても、スタンダードは最強なのだ。
それぞれが心に抱える思い出や、大切な何か(愛情と一言で済ますには範囲の広過ぎるもの)によって、この物語が伝えるものはより強くなるだろう。
読者であることを誇りたくなる……そんな一冊である。


文章にけれん味はなく、徒に感情を操る技巧もない。
しかし、設定は実に奇妙である。
物語は終始一人の女性によって語られる。野球が大好きな10歳の息子を持つ未婚の母で、家政婦派遣会社に勤めている。
ある時、彼女は一風変わった顧客の元に派遣される。彼は元大学教授。専攻は数学だった。17年前の事故の後遺症で、それ以降の記憶が80分しか保持できなくなっている。「頭の中に八十分のビデオテープが一本しかセットできない状態です。そこに重ね録りしてゆくと、以前の記憶はどんどん消えてゆきます。」
彼女は彼を「博士」と呼ぶ。博士は彼女を80分ごとに忘れる。毎朝博士は彼女が家政婦であることを確認し、彼にとって唯一のコミュニケーション手段である「数字」の話をする。「君の靴のサイズはいくつかね」「24です」「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」
ふとした偶然で、やがて10歳の息子が博士の家に来るようになる。博士は頭のてっぺんが平らな少年を「ルート」と呼ぶ。√記号のようだ、と言って。
日々成長する少年、毎日同じように家事をこなす母、そして80分ごとに記憶がリセットされる老人。三人は徐々に静かな友情を育むようになる。その様子を描く筆致は、淡々として乾いてはいるが、冷たくはない。何かを失うことでさえも、筆者の手にかかれば、特別に静かで美しい出来事のように語られる。
やがて、幾つかの事件が起こり、繰り返されていた日常は少しずつ変容していく。良い方へ?それとも逃れられぬ宿命の方へ?
最後の一行で、堪らず涙した。
悲しかったからじゃない。あまりに美しかったからだ。


私は人並み外れて数字に弱い。
しかし、博士の語る完全数友愛数や無限の素数の話は、実に魅力的である。
語り手の彼女のように、今まで見逃してきた多くの数字に、世界の秘密を発見することができるようになった……ような気がする。
どんな数字にも意味がある。物語がある。そう考えると、何やらわくわくするのだ。数学に躓いた中学生の時にこの本に出会っていたら、少しは数学に対して愛情を持てたのかもしれない。
そういう意味では、ちょっと早熟な子供にもオススメ。


ところで、「博士の……」と始まると、そのまま「……異常な愛情」と言いたくなってしまう。そこを途中で訂正すると、「博士の異常な数式」というタイトルになってしまう私の困った脳みそなのであった。★★★★★