魔術師(イリュージョニスト)

魔術師 (イリュージョニスト)

魔術師 (イリュージョニスト)



来た。ついに来た。気分的にはこれくらい来た。
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本書を手にした時の、私の喜びをお分かりいただけただろうか!


リンカーン・ライム」のシリーズも、これで五作目である。
映画「ボーン・コレクター」を見て、面白いじゃん、と原作を読んだ。続き(「コフィン・ダンサー」)もすぐ出たので読んで、少し……と思った。「エンプティ・チェア」にはシリーズ中で一番のめりこみ、続けて読んだ「石の猿」では、その反動か少し期待外れを味わった(理想が高過ぎたためだ)。評価に差こそあれ、いずれも集中力を途切れさせぬ力作揃いである。
前作で初めてタイトルが日本語訳になり、今回は初めて原題(The Vanished Man)とは異なる邦訳題となった。「石の猿」のタイトルを知った時は、じゃあこれまでのは「骨蒐集家」「棺桶舞子」「空席」だったのね、と思ったのだが……今回は「消える男」じゃまずかったんだろうか?「燃える男」と一字違いだから?
とは言え、この邦題自体に不満はない。正にタイトル・ロール、魔術師八面六臂の大活躍の巻、だからである。


主人公ライムは、元NY市警察の科学捜査員。しかし、捜査中の事故が元で四肢麻痺で寝たきりになっている。動かせるのは首から上と、左手薬指だけ。一時期は自棄になっていたが、周囲の助けにより立ち直り、外部コンサルタントとしてその頭脳を捜査に役立てるようになる。才能を見抜き、犯罪現場調査を任せるようになったアメリア・サックス巡査とは、恋人同士でもある。思うようにならぬ体に時に苛立つライム。捜査では彼の目鼻手足の役割を果たしつつも、やはり思うようにならぬ二人の関係に悩むサックス。犯罪や科学捜査の興味深さと同時に、二人の恋の行方も気になる本シリーズである。
さて、そんな折、音楽学校で女生徒が殺害される。犯人は偶然現場に居合わせた警官に目撃されるも、衆人環視の中忽然と姿を消す。次に、メイキャップアーティストが自宅に押し入られて殺害される。被害者は殺害される直前に警察に電話をしており、犯人が逃げる時間はなかったはずだが、やはりまんまと逃げおおせる。そして、現場に残されるマジックに関わる証拠品と状況の数々……殺人鬼は、イリュージョンの達人だ。そして、その外見を自由に変えることが出来るのだ。年齢すら、性別すら……目撃証言も人相書きも役には立たぬ。捜査するライムたちは、犯人を「魔術師(イリュージョニスト)」と呼ぶのだった。著者自身が「カッパーフィールドとレクター博士を合わせたような犯人」と豪語したそうだが、そこまで大物かどうかは読んでのお楽しみ。
捜査チームの常連メンバーに加え、今回はマジックに関するアドバイザーとして、マジック・ショップで働きつつショー・マジシャンを目指す若い女性、カーラが登場。古今東西のマジックを解説してくれる、読者にとってもありがたい人物である。(彼女の台詞で、プリンセス・テンコーが絶賛された時には驚いたが。そうか、凄いのか、テンコー……。)彼女の人生もまた、せつなくありつつも物語に色を添えている。
さて、捜査陣を欺き続ける魔術師のトリックを、ライムは暴けるのだろうか?


それで、なんだが……やはり期待のし過ぎはよくない。
以下もしかしたら少しネタバレを含みつつ感想。


今回のテーマは「誤導(ミスディレクション)」である。(私が決めた。)それも犯人が仕掛けるのみではなく、作者から読者へも仕掛けられている。ただし、ディーヴァーのそうした作風は、今に始まったことではない。むしろ、「読者騙し」や「どんでんがえし」のないディーヴァーなどありえない。ワンパターンと言っても良いぐらい欠かせぬ要素だ。事件が解決した安心感の後に、残りページがどんなに少なくても気を抜いてはいけない。「悪魔の涙」最後の数ページの驚きときたら……。
しかし、今回は少し従来とは違う印象を受けた。「騙す作者」と「騙されまいとする読者」という構図が既に出来上がっているため、そこから新しいスタイルが生まれているように思えるのだ。ディーヴァーの作品を読んだことのある読者は、以降作者に誤導されまいとする。作中の描写に見た通りのものを信じなくなるのだ。しかし、それを見越した作者は更にひねった仕掛けを見せる。既に不信を抱かれている作者でなければ、なし得ない大技である。この人がAと言うなら、さしずめ真実はBだろう……と思うと実はひねってCだったりするかもしれない。しかし本当の結果はAそのままだったら……してやられた、と嬉しいため息をつこう。
だが、この仕掛け、やや複雑である。ここかと思えばまたあちら。「騙されまい」と構えていると、最後の最後で現れる仕掛けには余計混乱する。予備知識と経験が生む、慣れた読者を陥れる大きな誤導である。これには少々腹が立った。ディーヴァーのバカ、ひきょうもん。騙されたぜ、ちくしょーめ。本作を素直な心で初めて読む人……は中々いないと思うが、そんな読者にはどのように映るのだろう。そういう人が少しうらやましく、汚れっちまった悲しみに少し寂しくなる年の暮れ。それでも充分楽しんだ。三日で五百十五ページ。ジェットコースターでNY犯罪観光といった様子である。
また、サックスの昇進問題も複雑だ。アメリカの警察制度をもう少し理解していれば、すぐに飲み込めるのかもしれないが、最終盤のやりとりには頭をひねった。二度読み直して、何となく理解した。自分の鈍さが悔しいところである。
最後に(なんのかんの文句言いつつも)ファンから一言。騙される喜びを味わいたいマゾ寄りのあなた、迷わずディーヴァーを読むが良い。いつまでたってもきちんと騙してくれる、彼は実に誠実な嘘つきなのだ。★★★★☆(実際には3.5といったところ。)