年間ベスト10(読書篇)

今年初めて読書記録を取ってみた。一冊目は「セーラー服とエッフェル塔」。読了日は5/28。そこから12/24の「海賊岬の死体」まで、計六十四冊。なんじゃこりゃ、から、なんということでしょう、まで落胆驚嘆入り混じったリストとなった。
この中から十冊を選び、今年を振り返りたい。付記した感想は読了時のもの(長いものは抜粋)。同程度に評価していても、本によってテンションが違うなあ、と改めてしみじみ。
注1:散々考えたものの、全てに順位は付けられない。並びは書名順である。
注2:今年「私が読んだ」書籍であって、今年出版されたものとは限らない。

アラビアの夜の種族

アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)

アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)

見捨てられた醜怪な王子にして稀代の魔術師が、憎しみつつも焦がれ愛した蛇の魔人に千年掛けて復讐する話。白く生まれたエチオピアの少年が、育ての一族に認められ、また復讐せんが為魔術師となり、野望を抱く話。忘れられた王家の正当な継承者が、一目惚れだけを理由に王座を奪還せんとする話。この三人のエピソードが、千年の時に跨って語られる。その時点の状況(ナポレオンに侵略されつつあるエジプト、マムルーク朝終焉の様子)もまた物語の一部である。奴隷は主人を騙し、語り手は聞き手を騙し、そしてまた著者は読者を騙す……。
一冊の本を読み終え、内容を全てその身に叩き込んだならば、読者はその本と一体となる。その書物の名前は「災厄の書」。夜の種族によって語られたその物語……読み終えた今、私は一体何者なのだろうか。

石の猿

石の猿

石の猿

リンカーン・ライムシリーズの4作目。
主人公ライムは、捜査中の事故が元で四肢麻痺になっている元NY市警察の科学捜査員。警察の外部コンサルタントとして捜査に参加する。才能を見抜き、犯罪現場調査を任せるようになったアメリア・サックス巡査とは、恋人同士でもある。犯罪や科学捜査の興味深さと同時に、二人の恋の行方も気になるシリーズである。
アメリカに密入国した中国マフィア「蛇頭」の殺し屋「ゴースト」を追うライムと、自分を知る密入国者を殺し尽くすために追うゴースト、逃げる密入国家族も追われるばかりではなく……尾を噛み合う蛇の群像追跡劇。
いつもながらわくわくと読ませる快作だが、本作の構成は「コフィン・ダンサー」に似過ぎではあるまいか。ディーヴァー恒例「最終部のどんでん返し」も、いつも同様カタルシスを満たされはするものの、「エンプティ・チェア」の快感にも似た衝撃には劣る。それでも★4つ。サックスとライムの幸福を願いつつ、次作刊行を心より待つ。

犬は勘定に入れません…あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎

下敷きである「ボートの三人男」は、以前読んで期待はずれだった。しかし、この作品は充分に楽しめる。美しい景色の描写といい、魅力的な登場人物といい、章ごとに二転三転するストーリーといい、連続のTVドラマに最適と思うのだが、実現しないだろうか?主役にはFrankie Muniz(マルコム・イン・ザ・ミドル)希望。

ブルドッグのシリルと、猫のプリンセス・アージュマンドを見付けるのは困難だろうけれど。
大袈裟なばかりで価値のないものにも、時間と記憶は意味を持たせる。過去からやってくる「無意味なもの」が何かを知り、胸が熱くなった。SF的説明は若干難解。「航路」の方が人には薦めやすいかも。

歓喜の島

歓喜の島 (角川文庫)

歓喜の島 (角川文庫)

1958年。始まりはラブストーリー。スパイ稼業に嫌気が差したウォルターはCIAを退職、恋人とともにマンハッタンに帰る。でも、男は毎夜放り出してきた過去の悪夢にうなされる。
中盤はエスピオナージ。ウォルターはJFKを想起させる若手政治家のスキャンダルに巻き込まれ、その中である女が死ぬ。それによって物語は大きく動き始め、彼は置いてきたはずの過去に対峙することとなる。秘密が明かされ、傷付いた彼は決断を迫られる。
終局はウィンズロウの真骨頂。焦りや迷走すら、名人の筆にかかれば快楽なのだということを教えてくれる。逃げるのは一人の元スパイ。協力者は気のいいドアマン、古馴染みのやくざ、そしてアル中の小説家。追うのはフーバー率いるFBI、殺人事件を追う警察、スキャンダルを恐れる政治家、そしてもう一つ謎の組織。危険な駆引によって彼が守ろうとしているのは何なのか?クリスマスから大晦日までの、光り輝くニューヨークの描写が美しい。切ない傑作。

気になる部分

気になる部分

気になる部分

声を出して笑える変人エッセイの快作(怪作)。これを読めばいかにも狼なんて怖くないし、通勤電車は戦場だし、男性の乳首にも存在意義があるのを知ることが出来るだろう。元気が出ない時に取り出して読み直す。悲しい事だって、どこかが気になれば笑えるはず。

シービスケット〜あるアメリカ競走馬の伝説

シービスケット―あるアメリカ競走馬の伝説

シービスケット―あるアメリカ競走馬の伝説

世界恐慌もようやく終幕を迎えようとしていた1938年。アメリカのマスコミを最も賑わせたのは、人間ではなかった。それは、足の曲がった小さな競走馬だった。馬主は自転車修理工から身を起こした西部の自動車王、チャールズ・ハワード。謎めいた過去を持つ寡黙な天才調教師、トム・スミス。無一文で片目が不自由な騎手、レッド・ポラード。そして、馬の名はシービスケット
シービスケットを巡る人々を結び付けていく偶然が語られる構成の絶妙さ、詳細な当時の風俗描写、人物描写の繊細さ、そして息を吐かせぬ緊張感溢れるレース展開を描く筆致たるや……筆者の能力には舌を巻く。過酷な稼業に身を置く“ホースマン”達に幸あれかし、と強く願う気持ちになる。

高く孤独な道を行け

高く孤独な道を行け (創元推理文庫)

高く孤独な道を行け (創元推理文庫)

ニール・ケアリーのシリーズ三作目。
ウィンズロウの小説は不思議だ。前二作を続けて読んだのは、もう3年以上も前だというのに(しかも気に入ったこと以外、話の内容をほとんど記憶していないにも拘らず)、読み始めるとすぐにニールの気持ちになっていく。それに、文章が特に技巧的とも思えないのに、場面ごとにそこの空気の匂いがする。実体を持たずにそこにいて、全てを見物しているような気分になる。乾いているが冷たくない。スリリング且つユーモアあふれる展開に酔いしれた。
シリーズの終わりに、どうかニールが幸福でありますように。

月の骨

月の骨 (創元推理文庫)

月の骨 (創元推理文庫)

私にとっての今年ベスト1。
物語は終始ある女性によって語られる。美しくはあるがごく平凡な彼女が、傷付きつつも今の幸福な生活を送るようになったいきさつが物語の導入部。素晴らしい男性と結婚し、娘も生まれる。
ある日、彼女は奇妙な夢を見る。彼女の息子と、飛行機でロンデュアという地に降り立とうとしている。眼下には美しい海が広がり、彼女はそこにいる奇妙な名前の魚を懐かしく思い出して息子に語る……見たこともない記憶を、いるはずのない息子に。彼女達の目的は、ロンデュアに散らばる5本の月の骨を見付けることにある。
夢は連続して進んでいく。夢の物語が進むにつれ、現実の生活にも変化が現れる。二つの世界に影を落とす、死と暴力……そして愛する者との別離。
後味が悪い、主人公の頭の悪さが嫌い、等々他の人の感想に驚くほど、私は気持ちよく読み終えた。購入したら表紙の絵が変わっていて拍子抜け。

永瀬清子詩集

永瀬清子詩集 (現代詩文庫)

永瀬清子詩集 (現代詩文庫)

あれこれ語るまい。一つ抜き書きする。

あけがたにくる人よ

あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている


その時私は家出しようとして
小さなバスケット一つをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった


その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか


あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった


もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかにくる人よ
足音もなくて何しにくる人よ
涙流させにだけくる人よ

博士の愛した数式

博士の愛した数式

博士の愛した数式

私にとっての今年ベスト1(同着)。
物語は終始一人の女性によって語られる。野球が大好きな10歳の息子を持つ未婚の母で、家政婦派遣会社に勤めている。ある時、彼女は一風変わった顧客の元に派遣される。彼は元大学教授。専攻は数学だった。17年前の事故の後遺症で、それ以降の記憶が80分しか保持できなくなっている。彼女は彼を「博士」と呼ぶ。博士は彼女を80分ごとに忘れる。毎朝博士は彼女が家政婦であることを確認する。ふとした偶然で、やがて彼女の息子が博士の家に来るようになる。博士は頭のてっぺんが平らな少年を「ルート」と呼ぶ。√記号のようだ、と言って。
日々成長する少年、毎日同じように家事をこなす母、そして80分ごとに記憶がリセットされる老人。三人は徐々に静かな友情を育むようになる。その様子を描く筆致は、淡々として乾いてはいるが、冷たくはない。何かを失うことでさえも、筆者の手にかかれば、特別に静かで美しい出来事のように語られる。
やがて、幾つかの事件が起こり、繰り返されていた日常は少しずつ変容していく。最後の一行で、堪らず涙した。悲しかったからじゃない。あまりに美しかったからだ。すばらしい、すばらしい物語。


以上十冊。泣く泣くふるい落とした中には、「しゃばけ」シリーズ、「愛のひだりがわ」(筒井康隆)、「ノービットの冒険」(パット・マーフィー)等があった。全てを選ばぬ不自由を選択した読者を許しておくれ。


ところで、「映画ベストナイン」(グレゴリー・マクドナルド、アンソロジー「愉快な結末」収録)という短編が好きだ。
愉快な結末 (ハヤカワ・ミステリ文庫―アメリカ探偵作家クラブ傑作選)

愉快な結末 (ハヤカワ・ミステリ文庫―アメリカ探偵作家クラブ傑作選)

映画評論の仕事でちょくちょく家を留守にする未亡人が、誰かが留守宅に侵入してベッドを使ったりチョコレートを食べたりしているのに気付く。最初は気味悪く思い、警察に知らせていたものの、さしたる被害はないため捜査も行われはしない。「せめて片付けくらいしてちょうだい」とメモを残しておくと、一通り掃除がしてある。大きなケーキを焼いておくと、彼女の分が取り分けられて残してある。徐々に見も知らぬ侵入者に親近感を抱き始めた彼女が、ある日家の中で見つけるものとは……?というお話。
この本は、十年ほど前に古本屋で買った(\200)。その時から既に絶版の雰囲気を醸し出していたが、今でもまだ古本で手に入る。だから、これから読む人のためにオチは省く。amazonで見ると読者の酷評も読めるw。面白いけどなあ、この本。
ともあれ、何かベスト10とか十傑とかを選ぶ場になると、この短編を思い出し、私にも見知らぬ友がいて、本の話題を共有したりできたらなあ……とか思ったものだ。それが何となく実現したような気がする今年は、きっと幸運な年だったのだろう。
私の拙文を読んでくださったみなさま、どうぞ良いお年を。