マン島物語

予備知識がないと楽しめない小説なんて嫌いだ。
でも、時に「知識があったなら」と悔やむこともある。嫌いなのに、好きになりたい……ああ、初恋。
とか、アホな繰言を述べたいわけではない。バイクのことをもっと知っていたら、この小説をもっと楽しみ、そして愛することができただろうになあ、という後悔なのである。


偏屈で、出版社としょっちゅう揉めて、そのせいか作品が続々と絶版になることで有名な?作家、森雅裕の筆による、オートバイ・レースに打ち込む男の物語。

マン島は、私の憧れの地の一つである。佐渡島程度の大きさの、アイリッシュ海に浮かぶイギリスの島。独自の議会を持ち、言葉は英語以外にケルト系のマンクス語を話し、通貨も独自の紙幣やコインを持つという、独立国並みの地方自治体である。
小学生の時の愛読書が「世界の猫図鑑」だった私にとって、マン島は尻尾のない猫(マンクス*1)のいる島である。その後、森博嗣の「マン島の蒸気鉄道」(「地球儀のスライス」収録)*2を読み、不思議な三本足のマーク*3と山岳鉄道を見たくなった。
そして、マン島T.T.(ツーリスト・トロフィー)。1970年に始まった、マシンの種類により8つのカテゴリに分かれ、市街地とカーブが続く峠道の60.7kmを時計回りに3〜4周する2輪ロードレースである。T.T.は「公道レース」を表すらしい。参加台数は400台以上、観客動員数は約10万人。ヨーロッパでは、F1にも負けぬほどの人気があるという。そして、日本メーカが常勝の位置にいる。しかし、(作品中の)現在既にグランプリからも外れたこのレースが持つ意味合いは、「草レース」でしかないという。けれども、「ライダーたちはTTがいかに偉大な草レースかを知っている」。
数年前の「プロジェクトX」で取り上げられたこともあり、レース自体の知名度はさほど低くはないだろう。しかし、その内実となると……どうだろうか?
バイクについて一通りの知識はあるが、マン島T.T.には疎い、という方にオススメ。
バイク?古池や……と句作し始める人や、「現行ドカのLツインはカム駆動をベベルギアでなくコグドベルトとし」という文章がちんぷんかんぷんな人(私だ)には、少しハードルの高い小説である。


三葉邦彦にとって、それは三度目のマン島だった。二度目までは企業の支援を受けて走ったが、今回は一人旅。かつての盟友であるホンダのチームマネジャーと、レースで亡くなった友人の未亡人と、忘れ形見である小学生の少女、そして島に撮影に来ていた元アイドルの真弓……これが彼の即席チームとなる。
TTは排気量などで大別される。邦彦が関わるのは、その中のF2だ。F2とは、2サイクル251-350cc、4サイクル401-600ccで争われるカテゴリである。この排気量のマシンを日本で販売していないこともあり、国内四大メーカはこの分野に積極的ではない。つまり、F2ならば一人で走る邦彦にも勝機があるということだ。
バイク用語だけが、この小説のハードルではない。邦彦の偏屈で皮肉屋でへそまがりのクソッタレであること、まことに腹立たしい。小学生の気遣いを無視し、同じく皮肉屋の真弓と周りを困惑させる鞘当を繰り広げ、口を開けば嫌味か理屈。真弓と互いに好意を抱きつつも、素直になれずに反発しあう。真弓も、彼を深く理解しつつも、その孤立を選ぶ性格に苛立ち、やはり素直に向き合えない。
正直、あんまりにも意地っ張りな二人に腹が立ってしょうがなかった。途中で同じように愛想をつかした小学生に大いに共感した。
そんな中、レースは進む。だが、邦彦自前のCBR600は練習走行中の事故で大破。ここまで来て不参加か……と絶望した矢先、同様な練習中の事故でライダーが脱落したものの、マシンは無事なドゥカティのワークス・チームから誘われることとなる。「一周六十キロの長大なマウンテン・コースに展開する雨中決戦の果て、三葉邦彦と彼のドゥカティは栄光のチェッカー・フラッグを目指す―。」
終わり方はクサイよー。憎いねー、このこの。


著者の作品の中では、正直、最も評価を低くせざるを得ない。他の小説を愛しているだけに、理解の低さが評価を下げることになったのが残念である。★★☆☆☆


ここで告知です。森雅裕の「蝶々夫人に赤い靴(エナメル)」(絶版)*4を探しております。定価(\1,529)の倍まで出しますので、お持ちの方がいらしたら是非是非お譲りいただきたく、お願い申し上げます。amazonの中古品では¥15,000というすんげー値段がついているので、ちょっと手が出ません。
復刊.comが頼りです……。こちらもよかったらご協力願います。

*1:マンクスは完全に尻尾がないランピー、切り株のように短い尻尾があるスタンピー、さらに普通の猫のように尻尾のあるロンギー、長毛のキムリックなどに分かれる。後足がやや長くピョコピョコと歩くことから、ラビットキャットとも言われる。

*2:

地球儀のスライス A SLICE OF TERRESTRIAL GLOBE (講談社文庫)

地球儀のスライス A SLICE OF TERRESTRIAL GLOBE (講談社文庫)

*3:周りに書かれた文章は、マンクス語で「どこに投げられても立ち上がる」の意

*4:

蝶々夫人に赤い靴(エナメル)

蝶々夫人に赤い靴(エナメル)