いつか、ふたりは二匹

いつか、ふたりは二匹 (ミステリーランド)

いつか、ふたりは二匹 (ミステリーランド)

「推薦図書」第二冊目。
事前に梗概を読んで、「ジェニィ*1」みたいな話だなあ……と思っていたら、実際「ジェニィ」に捧げられた作品だった。★★★★☆


主人公菅野智己は小学6年生。3年前に再婚した母と、義理の父、父の連れ子で大学生の久美子さんと暮らしている。
しかし、お父さんは単身赴任先で入院中、お母さんはお父さんの世話をするためにそちらへ行ってしまった。二人とも久美子さんが智己の面倒を見ると思っているようだけれども、実は宵っ張りでお寝坊の彼女に代わり、智己が家事をこなしているのだった。
しかし、智己には放置されている方がありがたい事情があった。彼には、眠っている間に近所の猫「ジェニイ」の体に入り込み、猫として動けるという特殊能力があるのだ。身長の数倍もある高さに飛び上がったり、わずかな隙間に入り込んだり、仲良しのセントバーナード犬ピーターの懐で昼寝を楽しんだり……猫でいるって最高。
そんな折、智己の通う小学校の女子児童三人が暴走する車に襲われ、内一人が重傷を負うという事件が起きる。助かった二人は、車を運転していた男が、昨年起きた「女子児童誘拐未遂事件」の犯人にそっくりだったと言う。騒然とする町内。慌てふためく教師たち。しかし、助かった少女の一人に不審なものを感じた智己は、猫のジェニイの体を借りて捜査を開始するのだった……。


正直言って、これは子供が読む本ではない。
大人の弱さやずるさ(特に、頼りない教師の描写は手厳しい)、子供の自己中心性、異常者の残酷さが描かれるため……ではない。それは「探偵伯爵」と変わりない。最後に耐え難いほど辛い別れがあるからだ。いわば主人公の「身勝手」によって失われるものは、子供たちに「決して取り戻せないもの」があることを教えはするだろうが、余りにも悲しすぎる。
けれども、作者が読者に伝えたいのは、まさに「二度と取り戻せぬ全てのものを大切にしなさい」ということなのだろう。別れは避けられない。最後にある人物が智己に言う。「その時が来るまでは、ずっとふたりで、一緒にいよう」……。
読み終えて、ちょっと悲しくなる物語。




この二冊を読んで思ったのは、「今の子供は大変だ」ということだ。
別に「昔は良かった」とか無責任な(かつ根拠のない)感傷で言うのではない。また、社会的なこととして思うのでもない。「児童文学」の過渡期に育ち、その境目に立つ世代としての感想である。
私が子供だった頃、フィクションにおける恐怖の対象は魔物や宇宙人、芝居がかった怪人や、労働保険に加入してなさそうな悪の秘密結社、または異世界(外国も含む)の出来事であって、「近所に住む変質者」などという生々しい存在はなかった。
また、多くの物語の中では、お父さんお母さんは勿論、学校の先生も「良い大人」「人間のモデル」であり、主人公を教え導く正しい存在だった。(それが児童文学の本来あるべき姿だ……なんてことはない。そんなのは単なる好きか嫌いかの問題だ。)
上記二冊が描く事件は、いずれも子供たちの身近で起きる「人間の手による」犯罪である。また、大人の弱さやずるさ、「大人の事情」も描写される。
この二冊がそうだということではないが、「リアルな描写」とか「タブーを破る演出」を誇るフィクションは、「今までかっこつけてたけど、実際はこうなんだ」という「現実」を表現しているように思える。それが事実かどうかはともかく(フィクションなので、事実である必要はないが)、発信する側は読み手にこう伝えることになる。「そういうものなんだ」と。
だから私は思うのだ。今の子供たちは大変だな。未熟な大人が多いことを受け入れ、子供は時にそれを許してやらねばならないことを望まれている。*2近所にヘンタイ、家には完璧でない両親、そして自分はあくまでコドモ。私はこれを徐々に知っていったけれど、大きな耳と目を持つ現代の子供たちは、この「真実」をごく幼い頃から思い知らされている。
そういう意味では、児童文学に「リアリティ」は必要なのだろうか?と思うことがある。せめて、「おはなし」の中だけでも理想的な世界を与えた方がいいんじゃないだろうか?
傲慢だし、余計なお世話だし、何より大人のくせして無責任なスタンスだ。美しい嘘をつくより先に、何かもっと建設的なことをしろ。現実を直視しないおためごかしは教育によくない、という考えもあるだろう。真の現状を知ることで、避けられるリスクもあるだろう。
しかし、本心を言うならば、私は子供たちにきれいなものだけを見てほしい。周囲の人間を信頼し、自分が性的な脅威に晒されているなどと意識せずに生きてほしい。だが、実際にそんなことをすれば、心無い人の犠牲になる可能性がある。児童文学もリスクを煽るような「ファンタジー」を語るべきではないのかもしれない。
別に最近急に発生した問題ではないのだが、子供向けの本を続けて読むことで、少し考えさせられた。答えはまだ出ていない。
願わくは、子供が無責任に子供であることを謳歌して、幼いことによって受ける不利益や損害から逃れることができますように。私が(伯爵やチャフラフスカさんのように)彼らを守る大人になれますように。

*1:

ジェニィ (新潮文庫)

ジェニィ (新潮文庫)

*2:千と千尋の神隠し

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

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クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」この二作品も「大人が子供に助けを求める」系譜の一だと思う。これらの作品の中で、大人たちは子供に大いに助けられ、許されている。それが子供たちの自信へと繋がるように作られており、その点が実に秀逸。