落城記

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落城記
野呂 邦暢
文芸春秋 1984-07
評価

by G-Tools , 2006/10/10



表題からして悲劇である。城が落ちることは、既に定められている。
しかし、作者の筆が描くものは通り一遍の悲劇ではない。ひたすら生の中にある死を見つめる、ある娘の三日間の様子である。若さに満ちた肉体は青春を生きようとするが、冷静なその目はせまり来る戦いをただ受け入れる。
贅肉を削ぎ落とした文体と、軽妙な会話が織り成す描写が、ある小国の運命を淡々とあらわしていく……。


梨緒(りお)は諫早領主西郷家の妾腹の娘。系図にも載らぬ生まれではあるが、その勇敢な性格で家中の者に慕われている。
彼女の父である諫早領主は、機を見るに敏ではなかったために豊臣秀吉の不興を買い、今しも隣国の竜造寺家に攻め入られようとしていた。
緊迫した空気の中にも、日常の生活は流れる。そして、ある者は城を捨てて逃げ出し、またある者は怯えながらも彼等を笑い、またある者は大言壮語し、そしてある者はただ黙って戦いに備える。
戦況が不利であることは、最初から見えている。戦力は数倍とも数十倍とも聞こえ、また数年来の悪天候で兵糧も乏しい。しかし、城に残ることを選んだ人々はできる限りの努力をし、命を賭ける覚悟を決める。逃げ延びるよう勧められた梨緒も、それを拒み、自らにできることを黙々とこなしていく。
彼女には腹違いの兄がいる。彼―七郎―は、平時から武芸より歌舞音曲を好み、家中の男達から軟弱者と謗られていた。いざ戦となった現在では、誰も彼を当てにしていない。
しかし、慌しい中でもゆったりと茶を飲む彼のことを、梨緒は気にせずにはいられないのだった。その感情は、思慕なのか、それとも憎悪なのか。それは彼女自身にも分からない。
そして、城攻めが始まる……。


いやあ、実に良かった。
別にドラマチックなどんでん返しもないし、お姫様がばったばったと敵をなぎ倒すようなこともない。彼女は落ちる運命を受け入れつつも、城を守るために働き続ける。水を確保し、食料をかき集め、労働力を適正に分配する。采配を行う中で、意外な真実を見出すこともあるが、物語も彼女もそこに拘泥しない。ただ流れる時間の中、その一瞬一瞬に目前を通り過ぎていくもの、耳に入ることを描いていく。実にストイックな小説である。
これを読む間、私は梨緒の中に入り込んで諫早領内と城の中を見聞きして回った。最後のページ、最後の行で、私は彼女と別れた。その後の彼女を私は知らない。普段は「オチ重視」の私ではあるが、彼女の人生のある三日間にオチはなかった。それで良かった。
ところで、ストイックな文章の中で、私が最も感じ入ったのが食べ物の描写である。ああ〜、おにぎり!梅干!魚の干物!戦場でも、人間は腹が減るのだ。★★★★☆