BG、あるいは死せるカイニス



私にとって四冊目の石持浅海である。
かねてより、この人の作品の魅力は「非日常的な設定下で起きる不可思議な事件」だと思っていたのだが、本作ではそれがいかんなく発揮されている。謎を生むのに不自然でない環境を作るためだけに、世界すら、いや人類すら作り変えてしまう作者恐るべし。


時は現代。場所は日本。ありふれた都市の、ありふれた生活。しかし、ここには私たちの日常とは大きく異なるある要素がある。
この世界には女しかいないのだ。日本の人口比で四分の一しかいない男性は、全てが自然に性転換した「元女性」。(そう、彼女等の遺伝子には西アフリカのカエルのDNAが混入されていたのです!……というのはただの「ジュラシック・パーク」ネタで、本書とは無関係です。)全人類は女性として生まれ、環境に応じて「必要なだけ」の人数が「男性化」する。男性化の条件は、問題なく成長して頑健であることと、経産婦ないしは非処女であること。つまり、「男の子」という生き物は存在しないのである。
「生物として優秀な個体」が男性になり、社会を維持するために複数の女性と結婚し、繁殖を行う。母として一度娘を成した後に男性化し、また他の娘の父親になるという事も起きる訳だ。
主人公はそんな家庭に育った。父が産んだ娘である姉優子とは、異母姉妹の関係になる……優子の母と遥の父が同一人物ということだ。
同じ高校に通う姉は、容姿端麗で気立てが良く、スポーツ万能で優等生。「男性化候補」の筆頭に上げられるアイドルのような存在だった。しかし、流星群の夜、高校の裏庭で彼女の絞殺体が発見される。おかしなことに、彼女はレイプされたような跡があった。男女比からして、「男が女をレイプする」などという状況はほぼありえないはずなのに、何故そんなことが?
そして、事件が長く影を落とす日常で、遥はある言葉をしばしば耳にすることに気付く……その言葉BGとは、何を意味するのだろうか。謎に踏み込む彼女の前で、姉の秘密が徐々に明らかになっていく……。


力技の世界作りは、大掛かりな分だけやや荒っぽい。
哺乳類の中で人類だけが性転換することに関しては「不思議ね〜」で済まされ、「優秀な個体が男性化する」という原則にも(基本的には)疑問が投げかけられることはない。また、「超男性」がいることが自然に扱われているのに対し、「超女性」というアイデアの欠片も出ないことが、実に「男性的」発想である。
物語の最後に主人公が取る行動が、全体の調和を目指すよう意図されているようにも見えるが、私には身勝手以上のものに思えなかった。殺害犯の動機も、まるで納得できない。(ただし、かなり特殊な設定なので、納得できなくて当然なのかもしれないが。)
今回も、「読んでいる間は面白く、最後まで読んで不満」であった。


しかし、確かに考えさせられる内容ではあった。
思春期の頃、私は自分が女でいることが嫌だった。かと言って、男になりたい訳でもない。男でも女でもないものになりたかった。性の頚木から逃れ、自由に生きるのだ!と思っていた。要は、よくいる夢想少女である。(しかも癖毛。)
そんなことに思い悩む少女は、よく「生物学エッセイ」を読んでいた。ジェンダーや男女問題から見るよりも、生物としての性そのものを知ることで、自分が持つもやもやとした不安から開放されるのではないかと考えたのだ。
眉に唾付けて竹内久美子を楽しみ、図書館の「生物」の分類を浚い、印象的な「不思議なダンス」*1に出会った。その結果、カエルの繁殖行動や、人類の性的進化については分かったような気分になれたが……自分自身の漠然とした不安が解消されることはなかった。豆知識が増えただけである。
それから十年以上が過ぎ、今では自分が女でいるのも悪くはないと思えるようになった。もう数十年すれば、念願の「男でも女でもない」存在になるのだろう。今となってはあまり嬉しくないが。
そんなことを考えて、青臭い過去が恥ずかしくなったりもした読後感。★★★☆☆

*1:

photo
不思議なダンス―性行動の生物学
リン マーグリス ドリオン セーガン Lynn Margulis
青土社 1993-06

by G-Tools , 2006/10/08