なやましいなまえ

 身近に「最近出産した人」が少ない。母(30年前)に聞くのは楽しいが、昭和産業史を振り返るようで、使用している物が恐ろしく違う。祖母(60年前)に尋ねるのも興味深いが、こちらは完全に現代史の講義である。防空壕での出産とかドラマチックなんだが、参考になる日は来てほしくない。


 そんな訳で、先日貴重な「先輩」(2歳の男の子のお母さん)を講師としてお招きし、色々とアドバイスを頂戴した。これって必要?これはどういう風に使うの?これって便利?これは幾ついる?こういう時はどうするの?こうなったらどうしてた?などと聞きまくり、メモしまくった。しかし、後で読み返し、リストにまとめなおすと何だか意味不明……。久し振りにガールズ・トークができたので、興奮してはしゃぎ過ぎたらしい。我ながらもう少し落ち着いた人間になってほしいものである。


 さて、そんな中、人に聞けない悩みもある。聞くこともできるが、最終的には自分達で決めねばならない。何を悶々としているのかというと、「命名」に関することである。
 何も今から考えなくても良さそうなものだが、ここで私が買物に行く八百屋のオバチャンをご紹介したい。
 60代と思える彼女の第一の特徴は「おしゃべり」である。第二の特徴は、「話が長い」。目当ての野菜を手にしてレジに向かうと彼女がいる。品物の対価を支払って即店を出る……という展開になることはほとんどない。彼女が別の客と会話中ならばそうなるのだが、生憎大繁盛の店ではない。たいていの場合、支払いを済ませてもまだ彼女の話は続いている。話の内容は傾聴に値するとはいえないもの(そーか学会の家ってお葬式やるとすぐ分かるわよねえ・(ソフトバンク社長の)孫ってやな奴ねえ、中国人なのよねえetc.)なのだが、こちらに向かって話しかけてくる年長者を無視することもできない。相槌を打ちつつ、しかし閉店時間まで付き合いたくもないので、じわじわと後退しながら店を出る。品物は良い店なのだが、時々「ふれあい」のないスーパーで買い物したくなる。
 さて、このところオバチャンが私の腹を見て言うのである。
「名前決めた?」(まだです。性別もまだ分かりませんし。)
「早く決めといた方がいいわよ〜」(早すぎますよ。)
「うちのお客さんでねえ、まだ大丈夫ってギリギリまで決めてなかった人がいたのよ」(はあ。)
「そしたら、生まれちゃってもまだ決まってなくてねえ」(はあ。)
「アレ、期限があるでしょ。生まれてから何日以内にお役所に出さなきゃいけないっていう」(そうですね。)
「それでね、結局決まらなかったから、適当な名前で出しちゃったのよ。何だと思う?」(……何でしょう?)
「それが『金太』ですって!ねえ、早目に決めておかないと、こういう変な名前になっちゃうかもしれないわよ!」(……。)
 全国の「金太さん」に幸あれ。しかし、確かに一生の問題になりうることである。私はうかつな人間である。慎重かつ冷静に、なおかつ期限に間に合うよう決めねばならぬ。八百屋のオバチャンのお陰で、もー気になって仕方ない。


 まず、ルーツを辿ることにした。我々夫婦の名前は、双方の父が付けている。自分の父にまず聞いた。
「どうやって名前を決めたの?」
「忘れた」
 お父さんヒドイ(T_T)。
「でも、少なくとも『画数』とかそういうものは全く気にしなかったよ」
 私たちも気にしない。よかったよかった。
 家人の父にも聞いてみた。
「その時人気のあった俳優の名前から」
 家人は初めて聞いたようで、えらく驚いていた。
 調査の結果判明したことは、(1)先祖代々受け継がれた名前はない (2)両家とも画数を気にするタイプではない (3)三十数年前に人気があった俳優も今では「誰?」ということもある ということだ。参考になったような、ならぬような。


 実は、私にはこれだと思う名前(漢字)がある。お世話になった恩師の名前である。子供の頃に遊んでもらった近所の犬の名前でもある。しかし、それが近年大流行。このクラスには**人の○○さんがいます……とかなりそうで、なんだか使うに躊躇してしまう状況なのである。
(それで思い付いたのだが、「(例)黒岩さん」がたくさんいるような地域では、同名にならぬよう配慮したりするのだろうか?「一郎〜九郎までは既に使用済みだからダメ」とか……。)
 それではと思い、次なる候補を考える。好きな作家やその作品からいただくというのはどうだろう。さて、私の好きな作家は……アメリカ人ばかりだ。ロバートとかジョンとかにするわけにはいかないしなあ。こうあって欲しい……という作中人物を思い浮かべても、アンとかカレンとかにするには勇気がいるしなあ。
 よし、季節の植物にちなもう。晩冬〜早春が予定日だ。その頃咲く花には、梅、桃、杏、鈴蘭、菫、菜の花、大犬のふぐりなどがあるらしい。大犬のふぐり……少なくとも、これは使えん。その他の花は、どれも何だかファンシーだ。何せ私の子供である。鈴蘭ちゃんというよりは、メタセコイアちゃんという方がしっくり来そうだ。それに、男性名の場合はどうなるのだ。梅太郎、桃輔、杏乃尉……考える分には面白いが、当人にはさぞや恨まれることだろう。
 如月、弥生もけっこういい。しかし、「如月さん」と聞くと、「はいからさんが通る」の伊集院家女中頭を思い出してしまうのも事実である。弥生といえば「千年女王」だよなあ、とも。
 そんなこと言っていたら決められない。アレコレ悩んでまたもリストを作成し、毛筆体フォントでプリントアウトして家人に見せた。
「どう?」
「……なんか古臭いのばっかり」
 ヒドイ。そんなこと言うと、理李杏とか樹理亜とか海と書いて「まりん」とかにするぞ。
 斯く言う家人は、勝手に私の腹を「ナオちゃん」と呼んでいる。
「何で『ナオちゃん』なの?」
「『ナオ』って名前の女の子には美人が多いから」
 まだ性別不明なんだが……。男だったら「直太郎」にでもするのか?また、呼ぶのは勝手だが、それはあくまで私の「腹」の名前だ。
 しかし、早く「対抗名」を考えないと、このままでは腹の名前になってしまう。何かいい名前を考えねば。いい名前、いい名前……「うらら」しか思いつかない!
 最近はうららに向かって「ねえ、何かいい名前ない?」と名付け親就任を要請している。例え「ささみ」、「のりこ」、「あんこ」、「カツオ」になっても潔く受け入れるよ。