となり町戦争

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となり町戦争
三崎 亜記
集英社 2004-12
評価

半島を出よ (上) 半島を出よ (下) バスジャック 夜のピクニック 漢方小説

by G-Tools , 2006/10/12



 随分前に推薦されたものの、図書館の予約が一杯で中々順番が回ってこなかった一冊。そんなに読まれているということは、読みやすくドラマチックな小説だろう。タイトルからして児童文学かな?二つの町の小学生同士が、境界をまたぐ空き地を巡って争うとか。そんで、最後には友情が育まれてオシマイだな……とか勝手に考えていた。我ながら妄想たくましい体質である。
 しかし、タイトルだけで誰がこの内容を想像できるだろう?戦争という言葉が私の中で直接的意味を失っているのだろうか。そう、本書で描かれるのは(比喩や表現上の技巧ではない)本当の「戦争」なのである。
 一風変わった、だが読む者に何か深く考えさせる作品である。読むべし。


 これは、戦記のようなものではない。ある一人の男が、実感もないままに「となり町」との戦争に参加する様子を淡々と描く小説である。
主人公の住む町の広報紙に掲載された小さな告知記事が物語の始まりである。
【となり町との戦争のお知らせ】 
開戦日 九月一日
終戦日 三月三十一日(予定)
開催地 町内各所
内 容 拠点防衛・夜間攻撃・敵地偵察・白兵戦
お問合せ 総務課となり町戦争係
 こうして、戦時下の生活が始まる。いつもと変わらぬように見える町の中で、主人公の日常は少しずつ変化していく。役所で発行される辞令、細かい指示に満ちた提出用書式、そして静かに進行するスパイとしての暮らし。周囲の人々との関係も変わる。ある女性が彼を導き、一人の元傭兵が戦争における業務としての殺人を語る。
 戦争は自治体が管理運営し、専門のコンサルタント会社を入札で決定する。予算が計上され、定期広報で戦況が通達される。説明会が開かれ、担当者との質疑応答も行われる。地方行政の一部としての戦争。かなりシュールに思えるが、なぜか身につまされもする。私たちが「今度」参加する戦争があるとしたら、それはこの小説に描かれたようなものになるのではないだろうか。
 物語の中では、開戦の何年も前から戦争に関する予算が組まれ、それが公正な手段で公開されている。しかし、主人公はいざその日が来るまで全くそれに気付かない。(「銀河ヒッチハイクガイド」で「地球取り壊しのお知らせ」がずーっと掲示されていたのに誰も気付かなかったように。)けれども、町議会で予算が承認されているということは、町民がこの戦争を認めているということなのだ。ビバ民主主義。
 流血も殺戮も目の前には見えず、ただ広報に載る戦死者数や、身体の一部が欠損した人間だけが増えていく。実感できないままに、それでもそこに所属する一員として戦時活動に協力していく。その過程で自らは戦闘行為に参加しなくても、自身の行動が誰かの死に繋がっているのかもしれない。


 実に奇妙な作品である。しかし、文学が提示できるものの奥深さを見せ付ける力強さがある。これはね、ちょっと読んだ方がいいよ。できることなら、このような作品をこそ中高生への課題図書にしたいくらいだ。無理かな?