月夜の晩に火事がいて

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月夜の晩に火事がいて
芦原 すなお
東京創元社 2005-01-22
評価

雪のマズルカ 安楽椅子探偵アーチー 嫁洗い池 ミミズクとオリーブ あきらめのよい相談者

by G-Tools , 2006/10/12



 「雪のマズルカ」にも登場した、「ふーちゃん」こと山浦歩が主人公の探偵小説。出版の順序で行けば、「マズルカ」が本書の続編ということになる。
 作者お得意のお国言葉の会話文は軽妙洒脱で力の抜けたユーモアに溢れ、読みながら噴き出すことは一度や二度ではなかった。しかし、物語の底を流れるのは、それぞれの登場人物の静かな悲しみである。しみじみと味わうべし。




 山浦歩(アユム)は、高田馬場の乾物屋の二階に事務所を構える探偵である。覇気に乏しく、竹久夢二描く美人画の女みたいな情けない目をして、てれってれっと歩く中年男だ。探偵のくせして、(拳銃を持っていないのは当然としても、)運転免許も持っていない。しかも、五年前に妻を失って以来、元から細かった神経の調子がちとよろしくない。現実と非現実の差が曖昧になったり、記憶が定かでなかったり、五官の入力が正しく認識できなかったりするのだ。
 そんな彼の元に、ある日怪しい手紙が届く。「どんぐりと山猫」みたいな怪文書は、二十年間離れていた故郷の町、そしてそこで起きる不思議な事件へと彼を誘うのだった。
 横溝正史モノのような、ある旧家が強い力を持つ田舎町や、その旧家の複雑な人間関係(家系図付き)が語られる一方、出て来る人々がことごとくトボケているのが味わい深い。(この調子で「八つ墓村」を書き直してくれないだろうか?)
 もう一つ横溝風味なのが、「予告状」に書かれるわらべ歌である。


 月夜の晩に
  火事がいて
   水もってこーい
    木兵衛さん
     金玉おとして
      土(ど)ろもぶれ
        ひろいに行くのは
       日曜日


 表題にもなっているこの詩通りに事件が起きる。月夜の晩の火事……そして、死体。さて、頼りなく情けない探偵は、この事件を解決できるのだろうか?
 2年かけて連載された作品のためか、やや冗長な部分があり、また登場人物の性格上やはりくどいところはあるが、集中して読むことができた。読み終えた今、私はうどんが食べたい。


 本作で特徴的なのが、方言を多用する会話文である。また、登場人物全員がもーしゃべるしゃべる。読んでいると、聞いたこともない四国方言を話せるような気分になってくる。うつるんですな。段々自分の喋り言葉を乗っ取られてしまう。
 中でも、「イミコさん」というおばさんが用いる特殊な日本語の感染力たるや凄まじく、わざとではなくともいつのまにやらイミコさんになってしまうのである。こればかりは、実際に体験していただかねば説明しかねる塩梅かと思わぬでもありませぬ。


 私はこの人の書く文章がホントーに好きだ。あんまりにも好きなので、作者本人とも気が合うんじゃないかと思い始めるほどである。有名人のストーカーになる人の気持ちが少し分かる。いや、少しですよ少し。
 さらに妄想が進むと、もしこの人が夫だったら……とか考え始めて、かなり危険である。しかし、我々が同じ家の中にいたら、互いに技巧を凝らし、無神経の限りを尽くして「自分がいかに繊細か」を語り合いそうな気もする。それはそれで鬱陶しいだろうな……と妄想でもって妄想に幕を閉じるので、作者は私につきまとわれずに済むのであった。めでたしめでたし。