あなたのために



 「あんたのためにということばは いつ いかなる時も美しくない」と大島弓子は言った。
(「わたしの屋根に雪つもりつ」/「サバの秋の夜長」収録より)


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サバの秋の夜長
大島 弓子
白泉社 2000-03

サバの夏が来た グーグーだって猫である グーグーだって猫である〈2〉 ダリアの帯 綿の国星 (第1巻)

by G-Tools , 2006/10/15



 初めてこれを読んだのは、あすかコミックスの「毎日が夏休み」に収録されていた「わたしの……」の中でだった。中々奥深い言葉だ……と感じ入り、それ以来極力使わぬよう、思わぬよう努力してきた。
 だが、今の私は毎日のようにこの言葉を使って語りかけている。
 「あなたのために、できるだけのことをさせてください」。そう、うららのために何かがしたいのだ。


 
 幸いにも、「妊娠中・出産後に猫がいる」ことで何か不快なことを言われたことはない。医者には(人間向けも獣医さんも)、「今まで通りの常識と節度ある態度で接すれば何も問題ない」とのお墨付きをもらった。つまり、口移しで食べ物を与えたり、トイレを不衛生に扱ったりしなければよろしい、ということだ。
 私も家人も、うららが赤ん坊に何か害を与えるのではないかという心配はしていない。不安を抱いているのは、大きな状況の変化がうららにとってストレスになりはしまいかということである。

 人間が一人増えた。小さいけどやかましい。しかも、そいつは自力で生活できないみたいだ。食事は付きっ切りじゃなきゃしないし、排泄だって決められた場所でできないのだ。その上、そんなに弱々しい癖して当然のように周囲の好意を享受し、しょっちゅう大きな声で鳴いてはお兄ちゃんとお姉ちゃんを呼びつける。私だって呼んだら来てほしいし、お腹をゆっくりナデナデしてほしいのに、二人とも最近あんまり構ってくれない。「埃が出るから」って私が好きなじゅうたんは片付けちゃうし、うるさい掃除機を毎日使うし、入っちゃダメな場所は増えるし……つまんない。つまんない。つまんない!
 などとうららがグレてしまうんじゃないだろうか……と妄想が始まると、もう不安で仕方がない。彼女は時々我慢してしまう猫でもあるので、出産後にちょっと頭のねじが緩んだ私がそんなストレスに気付かなかったらハゲてしまったりしないだろうか?などと考えると、私の方が今からハゲそうになる。
 正直、出産が私をどのように変えてしまうのかまるで分からない。想像もできない。うららをないがしろにするだなんて、ありえないはずだ。でも、自立している猫と生後わずかな人間を天秤にかけたら……どんなに猫が体重で勝っても、秤の傾きは人間の方に動くのだろう。私はそう選択するだろう。それは猫をないがしろにしてるって言わないか?ええ?どうなのさ。

 と、起きてもいないことで落ち込むのが私の悪いところである。猫本人はねむねむクッションでぐーたらしているだけだというのに。
 将来起こりうる危険因子をただ心配するだけなのは、愚か者の選択である。実際に新生児と猫と同居した人の体験談を探してみた。すると、こんな「ケーススタディ」があるではないか。
 なんとかなるんだ。みんな、なんとかしているんだ。猫のためにも、小さい人間のためにも。できるだけのことをしよう、と私は改めて自分に誓った。あなたのために。あなたたちのために。