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 乳児を持つ母親は、自然と引きこもりになりがちである。出掛けるとしても、せいぜい近所に買物に行く程度。そうなると、外見に気を遣う度合いも減るというものだ。少なくとも、私はそうなりやすい。半分部屋着みたいな格好でうろうろしがちである。口紅を塗るのだって怠りそうな勢いだ。
 そこで、最近の私はあえておしゃれをするようにしている。例え近所のスーパーに納豆と牛乳を買いに行くだけでも、きちんと化粧をし、髪を整え、服を着替えて出て行く。スーツ着たりはしないけれども、付き合って一年程度のボーイフレンドとデートするくらいの格好をする。コレぐらい気合を入れないと、ジャージ姿のすっぴんでどこまでも出掛ける人間になってしまうと分かっているのだ。


 先日、実父が届け物のために遠路来てくれることになった。お迎えと買物(と荷物もち依頼)を兼ねて、駅前の図書館で待ち合わせることにした。
 時間に余裕を持って服を着替え、かん子さんの支度をしようとしたら、予想外にもウンチをしてくださった。この片付けで余裕の半分が消えた。次に、怠りなく化粧に取り掛かる。日焼け止め、ファンデーション、コンシーラ、うっすらアイシャドウ、軽くチーク、そして眉毛を書き足す。今日はずいぶん眉の「ノリ」がいいなあ……と思ったら、うおおっ、こりゃアイブロウライナー(まゆずみ)じゃなくってアイライナーじゃないか!


 アイライナーとは目の縁を彩り、くっきりさせるためのものである。まゆずみは眉の不足分を補い、うっすらと色を重ねるものである。アイライナーを間違えて眉に使うとどうなるか。そりゃもう、恐ろしいくらい存在感のある眉毛が誕生するのである。真っ黒で、くっきりした眉毛がボーン!とおでこに二本出現するんである。「飛び出すマユゲ」として特許を取りたいくらいの迫力だ。五月人形も真っ青のりりしい眉毛!
 なぜ二本とも描き上げるまで、これほど違和感のある状態に気付かなかったのだ!と後悔するも遅い。予定外のオムツ処理で、待ち合わせの時間は既に迫っている。今から眉毛を薄くする余裕はない。せめてと思って綿棒で眉をこするも、くっきりとした黒が薄れる気配はない。このアイライナーって、本当に優秀なんだよなーっ。今はその高機能が憎い。
 仕方がないので、つば広帽をできる限り目深にかぶって飛び出した。リネンの白シャツに綿のふわふわ白スカート、ベージュのサンダルに、ヘレン・カミンスキーの帽子。真っ黒眉毛を引き立てるスタイルを選んでしまったことを悔やみつつ、うつむき加減の早足でベビーカーを押した。誰も見ていないと分かっていても、リアルゴルゴみたいな眉毛をしているというのは充分恥ずかしいものなのだ。


 三十を過ぎたら落ち着いた性格になると思っていた。ならなかった。
 子供を産んだら、自動的に「オトナ」になると期待していた。どうやら、こちらも期待外れのようだ。
 マスカラを付け過ぎて上下の睫毛をくっつけちゃったり、コントロールカラーを使い過ぎて顔色をデスラー総統みたいにしちゃったり、ヘアカラーの加減を間違えて髪を緑色にしちゃったり……そんな過ちを二度と繰り返したくないと思ってはいるんだけど、まだまだ未熟者の道からは抜けられないようだ。
 とりあえず、まゆずみとアイライナーは置き場所を変えた。宝塚ごっこをする時以外は、二度とあそこまでりりしい眉毛にはしないぞ。