読書記録(2006年8月)





「食」に重点を置いた、子育てエッセイ。子供を持つなんて考えてもいなかった女性が、自分の時間を子供の「ごはん」(母乳・母乳のための食事・離乳食・普通食)に割いていく様子を綴っている。好き嫌いは分かれる内容かもしれないが、出産前に読むのをオススメしたい一冊。
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蜂の巣にキス
ジョナサン・キャロル 浅羽 莢子
東京創元社 2006-04-22
評価

by G-Tools , 2006/10/20



すばらしいの一言。読み終えた後、興奮の余り一週間も感想を書く気になれなかった。今も書けない。
親子、男女、友人……親しい人との関係で、何が起きたら一番恐ろしいだろう?理想的な関係に、どんな問題が生じたら、あなたは最も傷付くだろうか?キャロルはそれを知っている。一番切ない瞬間を捉えている。とりもなおさずそれは、キャロル自身が恐れ、怯えていることなのだろう。
キャロルは、私が恐れていることも知っている。作中の登場人物の一人は、私自身が恐怖する自己像に、非常に良く似ている。彼には見えるのだろう。ある種の女性が持つ、周囲に及ぼす不安と、本人が怯える内なる陥穽が。彼の家族は、夫を、父を恐れずにいられるのだろうか?ここまで深い洞察力を持つ人を。
裏表紙の粗筋を紹介する。

―入り組んでいてせわしない。いつも飛び回っていて、その気になればいやというほど刺せる―“蜂の巣”。それが彼女の綽名。30年前に殺され、ぼくが死体を発見した美少女だ。彼女の事件を書くという試みに、作家であるぼくはスランプ脱出の望みをかけた。だが…真相を探るにつれ、絡みあい、もつれあう過去と現在、親と子、男と女。そしてぼくを脅し指図する謎の影。鬼才の傑作。



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村田エフェンディ滞土録
梨木 香歩
角川書店 2004-04-27
評価

by G-Tools , 2006/10/20



とても奇妙な小説だ……と思いつつ、ページをめくっていた。時は19世紀末、エルトゥールル号遭難事件への感謝の表意としてトルコ政府に受け入れられた考古学研究員、村田青年のスタンブール(イスタンブール)での日々を描く物語である。彼が滞在する下宿には、イギリス人の女性大家と、ドイツ人とギリシャ人の考古学研究者、そして偏屈なトルコ人の使用人と彼が道で拾ったおかしなオウムがいる。下宿の建材にはいわくつきの「材料」が使われているせいか、夜になると不思議な「何か」が現れる。人種も宗教も思想も違う彼らが、共に過ごす時間はとてもなごやかで心地いい。対立や不和すらも、調和の一部分として存在するように思える。しかし、トルコに革命の風が吹き始める頃、状況は徐々に変わり始める……。
淡々と語られるストーリーは、明治の若者の回顧録のようであり、またちょっと奇妙な味わいのファンタジーのようでもある。しかし、最後の章で私はこの小説の核を知り、ただ一言の台詞に泣いた。
世界が、あの下宿のようであったらどんなにいいだろう。一神教多神教、古い言い伝えと新しい合理主義、西洋と東洋……対立するのは当然かもしれない。和解の方が、時に敵対より多くの血を求めることもある。それを知っていても、私は願わずにいられない。違いを違いとして受け入れ、それでも友情をもって共存できたらどんなにいいだろうか、と。
物語の終盤、ある人物が言う。「忘れないでいてくれたまえ」と。村田は、「何を?」と思い、後に自らそれを悟る。私も忘れないでいよう。一番大切なことを。


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親指のうずき
アガサ・クリスティー 深町 眞理子
早川書房 2004-08-18
評価

by G-Tools , 2006/10/20



先日、TVで新作映画の予告編を見た。その名も「奥さまは名探偵」。フランス映画らしい中々雰囲気のある作品で、ほほうと思いつつ見ていたのだが、原作がクリスティのこの作品だという。
ポアロミス・マープルは(たぶん)全部読んだけれども、「おしどり探偵」のシリーズは一冊も手に取ったことがなかった。本作はトミーとタペンス夫妻が老年期に入ってからという設定なので、順序としては逆になるが、いい機会なので読んでみることにした。老人探偵モノ大好きだし。
かつて英国諜報機関で働いていた二人も、今では孫のいるような年齢である。老人ホームにいるトミーの偏屈なおばを見舞ったタペンスは、そこで「あれはあなたのお子さんでしたの?」と尋ねる奇妙な老婆、ランカスター夫人に出会う。数ヵ月後、亡くなったおばの遺品を整理するためにホームを再訪すると、ランカスター夫人はおばに一枚の絵を残し、ホームを出ていた。彼女に連絡を取ろうとするタペンスだったが、夫人の行方は不自然なほど完全に不明だった。不吉な予感(親指のうずき)を覚えたタペンスは、残された絵を手掛かりに、夫人を探す旅に出るのだった……。
いやー、中々面白かった。スパイの「OB会」に出かけたトミーの留守中にこっそり冒険をするタペンスの若々しさや、怪しい人ばかりの田舎の町などの描写は、いかにもクリスティ。読み終えてから、ランカスター夫人初登場のシーンを再読して、思わずうわーっと呟いてしまった。お上手!しかし、終盤は若干ごちゃごちゃして、どの事件が解決したのか、あの人はどーなったのか、などと頭が混乱する部分もある。まあ、そこもクリスティたるところかもしれない。
映画見たいなーっ。


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あなたに不利な証拠として
ローリー・リン ドラモンド Laurie Lynn Drummond 駒月 雅子
早川書房 2006-02
評価

by G-Tools , 2006/10/20



怖いほど「アタリ」が続いている。これまた実に素晴らしい作品である。
本作は、ルイジアナ州バトンルージュ市警の5人の女性警官を主人公にした、連作短編集である。警察官を扱い、ポケミスで刊行されてはいるものの、これはミステリーではない。殺人事件や、真相のはっきりしない傷害事件を舞台の中心に据えていても、物語の核は謎解きではないのだ。そこに描かれるのは、肉体や命、精神をすり減らしながら職務に生きる人々の心である。情熱や正義の探求は、遠い日に置き去りにした炎のようだ。現在の彼女たちを動かすのは、そういう熱いものではない。銃把が当たり続けることで体に染み付くアザであり、刺激に慣れ、鈍磨した神経を時折呼び覚ます興奮だ。
そんなものが面白いとは思えない。そのはずだ。しかし、心の傷をぼんやりと見つめる彼女たちの物語は、何故か魅力的だ。是非、多くの人に読んでいただきたい。
アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀短編賞受賞(長いなー)の「傷痕」よりも、暴力の連鎖に苦しむモナを主人公とした二篇(「制圧」「銃の掃除」)と、死者を忘れられないサラを描いた二篇(「生きている死者」「わたしがいた場所」)が気に入った。


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惡忍
海道 龍一朗
双葉社 2006-06
評価

by G-Tools , 2006/10/20



伊賀からも甲賀からも追われる流浪の「悪忍」、加藤段蔵の活躍を描くピカレスク・ロマン。
これは面白い。まず、主人公。登場シーンから引こう。「褌一丁で仁王立ちした身丈六尺の全身には、瘤のような鋼の筋肉が盛り上がっている。……腹筋は六つに割れ、分厚い胸板は見事な逆三角形だった。首筋まで鍛え上げられた筋肉に覆われ、その上に同じ幅の顔がざんばら髷を結っている。しかも、躯中に無数の刀瘡が刻まれ……/太い眉の下で吊り上がった瑠璃色の両眼が、険のある光を放つ。整った鼻筋の下には薄い唇があり、その顎は細く尖って先端が二つに割れていた。」うーん、リアル(?)ケンシロウ。この描写だけで、興味ない人をふるい落とせるくらいコテコテの劇画調である。
いっそう劇画調なのが、「効果音」である。障子が破られるシーンでは「銼!破!(ざ!ば!)」、頭を殴れば「撲!(ぼく!)」、刀を止めれば「齧!(げつ!)」……すごいね、どうも。
肝心の物語は、加賀一向一揆に対抗する敦賀朝倉家に入り込んだ段蔵が、陰謀を巡らし、謎の目的を遂げようとするというもの。若き日の上杉謙信(長尾影虎)なんかも出て来て、顔ぶれは豪華である。敵同士だったはずの忍者たちが、欲のためにいつしか段蔵と手を組む様子などは、コミカルで笑みがこぼれた。
で、なんで★三つなのかと言うと……オチがなあ、ちょっとオイコラ!って感じなんだよなあ。最後まであと9ページ!というところで明かされる、驚愕の真実。コラー!と叫びたい気分のあなたにオススメです。あなたはきっと最後の最後でも、「なんじゃそりゃ……」と呟くことでしょう。


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カレンの眠る日
アマンダ・エア ウォード Amanda Eyre Ward 務台 夏子
新潮社 2006-05
評価

by G-Tools , 2006/10/20



殺人の罪で、2ヵ月後に死刑執行を待つ女、カレン。患者を救えなかったこと、自分を偽ってきたことにさいなまれる医者、フラニー。カレンに夫を殺され、失われた人生を思い、怒りを溜め込む図書館員、シーリア。この三人の物語が交互に語られ、そしてクライマックスに近付くにつれ、見知らぬ者同士だった三人の距離もまた近付いていく。
お見事!の一言である。三人の女性の書き分け(元から幸福を知らない者、かつてあった幸福やユーモアを失った者、辛い状況でもユーモアを忘れない者)が実に素晴らしく、この演出が物語をひときわ優れたものにしている。私は読みながら憂鬱になり、泣き、そして思わず吹き出して笑った。まさに秀作である。
三人の女性の物語が交互に語られ、積み重ねられていく体裁、エピグラムにウィリアム・スタッフォードの詩が引かれていること……妙に「あなたに不利な証拠として」と共通点の多い作品でもある。


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わたしを離さないで
カズオ イシグロ
早川書房 2006-04-22
評価

by G-Tools , 2006/10/20



柴田元幸氏の解説から、以下を引きたい。
「『わたしを離さないで』は、細部まで抑制が利いていて、入念に構成されていて、かつ我々を仰天させてくれる、きわめて稀有な小説である。」 まさにその通り。この後、柴田氏は、内容について述べることは避けたい、なぜなら「予備知識は少なければ少ないほどよい作品なのである」と書いている。まさにまさにその通り。粗筋(裏表紙カバーに書いてある)を読むだけで、勘の良い人、あるジャンルを読み慣れている人には、これが何を扱っているのかが推理できてしまう。知らずに読む方が、ずっと幸福な読者になれる。
しかし、何が中心にあるのかを知った後でも、この物語の世界を見る価値は充分にある。かつて確実に存在したけれども、今は失われ、記憶すら曖昧になっていく子供時代。ただそれを懐かしむだけでなく、その時の残酷な自分や、過酷だった友人関係を苦く噛みしめることにもなる回想。著者の筆致は、我々読者に、経験し得ない思い出を柔らかく押し付ける。私は語り手の記憶に漬かり、自分も彼女と共に青春時代を過ごしたように感じながら本を閉じた。戻れない日を知っている大人のための一冊。


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終末のフール
伊坂 幸太郎
集英社 2006-03
評価

by G-Tools , 2006/10/20



あと8年で人類は滅亡する。そう宣告されてから、嵐のような5年が過ぎた。残りはあと3年。騒乱と絶望は小康状態を見せ、人々は落ち着きを取り戻したように見える。そんな日々を生きる8組の人々を描く連作短編集である。舞台は勿論、伊坂幸太郎の仙台。
あと3年。そうなったら、あなたはどうするだろう?私はもう決まっている。本を読み、子供を育て、猫と遊ぶ。そして、できたら最後まで希望を捨てず、それでいて風評に惑わされずにいたい。エピグラムに引かれる言葉が、そう思う私の格言になる。Today is the first day of the rest of your life.今日という日は残された日々の最初の一日。
色々と考えさせるだけでなく、エンターテイメントとしても充実の一冊。読むべし。


実り多い読書を楽しめた8月でした。