引っ越す理由



離婚した。
誰が?
私が。私たちが。
びっくりした?私はびっくりしたよ。
一人で夕飯を食べるのに慣れた。話し掛けて返事がないのにも慣れた。目指せアパシー、と思っていた。
でも、慣れればガマンできると思っていたのに、実はガマンできないんだ、って気付いた時にはびっくりした。
「かん子のためならガマンできるから」って言っていた、その自分が心から嘘をついていたんだと気付いて驚いた。
夫は「君だって、ガマンなんてできてないじゃないか」と言った。
その通りだ。
チエちゃんのお母はんの言葉を不意に思い出した。

「一人で生きてゆけるなんて思っていると、辛抱せなあかん時に、辛抱がきかんようになったりもするんよ。」



直接関係あるようなものではないのに、なぜ出てきたのかは分からない。でも、それでふんぎりがついた。
こんな状況をいつまでも甘受はできない。
辛抱し続けることが、家族全員の幸福に繋がるとは思えない。
同じ忍耐なら、もっと目的が見えるもののためにしたい。
そうして私は一つ所をぐるぐる歩き回るのをやめて、どこかを目指して歩き始めることにした。
方向は間違っているかもしれないが、少なくとも靴底をすり減らしながら、すり鉢状に地の底へ降りて行かずには済む。
こんな例え話に意味はないんだけど。


間違いなく後悔するだろう。
なんでもっとがんばらなかったんだ、とふとした拍子に自分を罵らずにはいられないだろう。
こんな愚かな行いをして、かん子さんとうららは私を許してはくれないだろう。彼女たちにはその資格がある。
それでも、私は石にしがみついてでも、自分を健康で幸福に保たなくちゃいけないのだ
ヨシ江さんが言うように、これ以上に辛抱せなあかん時がきっとやって来るんだろう。
それに備えて、私はいつまでもくよくよしたり、めそめそしたり、自責の念や罪悪感に浸っていてはいけないのだ。
今日だけだ。
今日で最後だ。
明日からは、じゃんじゃんばりばり事務的に、そしてハッピーに生きるのだ。


今思えば、色々揉めたりしている期間よりも、離婚することを決めてから少し経った頃が辛かった。
楽しかった記憶ばかりが思い出されるのだ。
別に大層でも特別でもない、どちらかと言うとくだらないことで笑ったりした些細なものだ。
そうしていると、別れる理由なんてないように思えて、色々あったことなんて全部忘れられるような気がして、数分の逡巡の後に気付く。
もう遅いのだ。
これが一番辛かった。


今はもう、別れてしまった。
済んでしまったことなので、このことについてあれこれと悩む必要もなくなった。
これからは、違うことを考え、対処していかねばなるまい。
私は悪い母親かもしれない。でも、だからと言って良い母親であろうとする努力を放棄するべきじゃない。
がんばろう。


今は「志の輔らくご」とか聞きながら笑ってる。
一週間と少しで横浜に引越しする。
毎日笑おう。ご飯をおいしくいただこう。
親子二人と、世界一の三毛猫で、幸せに暮らそう。
かん子、うらら、ごめんね。


感傷はこれにて打ち切り!
さあ、新しい生活を始めよう。