故郷の先生

運がいいのか、行いがいいのか、(それとも単に頑丈なのか、)その後オナカに来る症状は現れなかった。しかし、喉の痛みと咳がひどくなったので、今日の夕方に近所の耳鼻咽喉科に行くことにした。


私が今住む町は、幼時から大人になるまでを過ごした所である。(いつ大人になったんでしょう?まだか?)そんなに長く離れていたつもりはないのだが、いざ戻ってみるとだいぶ様変わりしており、何やら町そのものが「年を取った」ように思えるのだった。
しかし、変わらぬものは変わらない。本日、O耳鼻咽喉科の診察室に入ると、子供の頃怖くてたまらなかったあのO医師が、今も現役で喉や鼻を覗いているのである。


十数年前……と言うと、既にサバ読みになりそうなほど前のこと。扁桃腺が肥大気味だった私は、冬になるとしばしば喉を腫らして熱を出し、オプションの鼻詰まりも欠かすことはなかった。そこで行くのがO耳鼻咽喉科である。行きたくなんかない。寒々しい待合室の硬いベンチ、薄暗い照明、使いにくいトイレ。子供が喜ぶような場所ではない。しかも、先生がそれはそれは恐ろしかった。
まず、指が太い。さらに、そこに毛が生えている。ふさふさと。そして、声が大きい。その上、時々怒鳴る。子供相手でも容赦がない。鼻の中をぐりぐりしたり、すさまじい音の出る機械でずごごごと鼻の中を吸ったりする。痛いじゃないか。
しかし、母は「あの先生は良い」と何やら信頼を寄せていた。彼女は、O医師が時に怒鳴るのは、理不尽な理由ではないと言う。そう聞いて見てみると、確かに怖い声を出しているのは必要がある時だけのようだった。私が中待合室にいる時、小さい子供を受診させに連れてきた母親が、泣き叫んで診察用の椅子の上で暴れる我が子を押さえ付けられずにいたことがあった。O医師は若い母親を叱り付け、ちゃんと動かないようにさせなければ、子供が危ないではないかと注意をした。看護婦がサポートはしていたけれど、近くで母親がうろたえていたら、子供は落ち着くことなどできはしない。なるほど、確かに理不尽ではない。ただ声が大きいだけだ。泣き喚く子供がいる状況では、怒鳴り声になるのもむべなるかな。子供を叱るのも、やかましくしている時だけだ。納得した私は、以降ぐりぐりもずごごごも黙して耐えるようになった。先生に「泣くこたねーだろ」と言われることもなくなった。


さて、今日である。
診察室に入ると、先生が縮んでいた。
いや、たぶん大きさは変わっていないのだろう。私が成長したのだ。それにしても、私の方が背が高いなんて、驚きである。
そして、記憶の中では鬼瓦のような先生の顔は、口の周りがしんわりとして、何やら好々爺の趣すら感じられるのである。目が笑っていて、顔全体がふっくらと優しげなのである。
「で、今日はどーしたの」と話し掛けるフランクさは以前のまま。「もうちょっと奥に座ってよ。オシリを引っ込めて」と必要なことをつけつけと言ってくるのも変わらない。でも、私の方に余裕があるせいだろう。子供の頃より確実に会話が楽しい。医者に来て会話が楽しいってのも何かヘンだが。
「あー、こりゃあなた、熱出すかもね。大したことはないだろうけど、ちょっと出るかも。(シュッシュッと喉に薬品を吹きかける。)でもね、熱が出てない間は風呂入っていいからね。(鼻を覗きこみ、ずごごごとバキューム。綿球で鼻の中をぐりぐり。)薬出すから。(スチーム吸入中。)三日も飲めば治ると思うんだよ。もし治んなかったら、また来て。あ、車運転しないでね。眠くなるから。まあね、女の人の運転ってのは元から怖いんだけどさっ」
(「私はその中でも特に怖いですよ〜」)
「後ね、酒飲まないで。(「ハイ」)それから、熱いもん食べないで。ふうふう言いながら食べるようなのね。」
(「分かりました。殿様のご飯みたいなの食べてればいいんですね」)
「そうそう、バカ殿のご飯だよ」
ありがとうございましたー、と言って診察室を出た。何だかいい気分だった。
先生の指の毛、見るの忘れちゃったなあ、と思った。


吸入の機械は昔のままだった。診察用の椅子も、変わりなかったような気がする。寒々しい待合室も以前と変わりなかった。ただ、子供の頃はいつでも混んでいたのが、今日は私の前に中年の男性がいただけだった。この人も、O先生との会話を楽しんで、笑顔で診察室を出て行った。
稼ぎ時の冬場に空いているなんて、大丈夫かしら?と余計な心配をしてしまう。相変わらず子供を叱ったりして、打たれ弱いタイプの人達に敬遠されているんじゃなかろうか。いい病院なのに。いい先生なのに。閉まる直前だったから、たまたまかな。


フロモックスセレスタミンブルフェンを処方された。先生の予言どおり、三日で治ってみせましょう。