ちょっと大変でした

  • 日曜日。かん子さんが熱を出す。すぐに平熱に戻るが、鼻水と咳がひどい。
  • 月曜日。午前半休を取り、かん子さんを病院に連れて行く。咳が出てるだけで、大したことはないと言われる。咳止めが処方される。この日は祖母が出かけており、祖父にかん子さんを頼んで会社に行く。午後に38度台まで熱が上がる。
  • 火曜日。かかりつけの小児科医院は休診。一日祖父母に頼む。熱は上がりっぱなしではないが、一日を通して平熱に落ち着くことがない。
  • 水曜日。午前中は祖母が、午後からは祖父が見てくれる。二人の疲労が気になる。病院では、「気管支炎」と診断され、ドルセファンと咳止めを処方される。
  • 木曜日。早朝に祖父が来て、祖母に嘔吐と下痢がひどく出たために、未明に救急車を呼んで入院したという。私は業務引継ぎが佳境で、しかも毎日残業せずに帰っている。この先はともかく、今は休みたくない。しかし、祖父は睡眠不足な上、祖母の正式な入院手続きにも行かねばならない。困った。姉に電話をして、「一生のお願い」クーポンを一枚使い、祖父のサポート&ベビーシッターを依頼する。夜、久し振りに伯母に会えてはしゃいだせいか、かん子さんは中々寝付かない。夜中も度々寝ぼけて泣き、私は寝た気がしない。
  • 金曜日。朝から自宅に祖父と姉が来てくれる。かん子さんは前夜の寝不足を解消するがごとく、ずーっと寝ていたらしい。それが良かったのか、幾分症状が和らぎ、熱も37.5度を超えなくなる。祖父が帰宅した後、夜の8時過ぎにチャイムが鳴る。誰だ?と問うたら、「おかあさんです」……パジャマ姿の祖母であった。真冬に怪談か!退院許可が出たので、着の身着のまま(財布も携帯電話もなしに)タクシーに乗って帰ってきたとのこと。なんじゃその猪突猛進。「おとうさんもういないの?じゃあ、今から帰るからお財布用意して待ってて、っておとうさんに電話しといて」と言い残し、祖母はタクシーで帰っていった。
  • 土曜日。朝、雪が降る。姉にお礼の電話をすると、何やらぐったりしている。前夜から嘔吐と下痢がひどく出て、すっかり消耗しているのだと言う。直接祖母には会っていない人間に、何故同じ症状が出るのか……?とか思っていたら、私も下痢をした。しかし、嘔吐はないし、気分も悪くない。かん子さんの咳を一身に受けているので、同じように喉は痛く咳が出る。でも、それだけだ。この下痢は、①姉の話を聞いて影響を受けた ②母の風邪が感染した ③それとは無関係に体調不良 ④古い野菜や肉を使って「片付け料理」を作ったせい のどれなんだろう?悪化してからでは身動きが取れないので、連日申し訳なく思いつつ、祖父母に留守番を頼んで近所の病院に行く。こういう状況で、似たような症状が出るかもしれないと説明すると、「ノロウィルスなら今日明日にでも出るでしょう」とのこと。下痢と嘔吐止めの薬を処方される。その後、下痢もないし、何の症状も出ない。このまま何もなく過ぎてほしいものだ。



♪これが私の一週間のしごとです〜♪って、私はあんまり働いてないか。
実は、金曜の夜に、12月に出向していた職場の女性と飲みに行く予定があった。かん子さんを初めて夜間に祖父母に預け、ステキな殿方ご招待(希望)の集いに行くはずだったのだ。私が子供と二人きりで引きこもるのを憂慮している祖母は、喜んでかん子さんを預かると言ってくれていた。夜のお出掛けは久し振りで、私は友人にも同僚にもこのイベントのことを話し、それはそれは楽しみにしていた。彼女達は暖かく話を聞いてくれたが、きっと「はしゃいじゃって、しょうがないなあ」という気分だったことだろう。
それがこういうことになり、当然遊んでいる場合ではなくなった。いつかこういう時(子供のために自分の楽しみを諦める)が来ると知ってはいたのだが、実際に経験してみると、そんなに苦でもないことに気付いた。キャンセルするしかないと分かった木曜には、がっかりし、残念に思い、タイミングの悪さを呪いもしたが、金曜の朝にはすっきりした気分になっていた。あーんなに楽しみにしていたのになあ、と自分でも意外なほどである。
かん子さんの症状は、一進一退から一日一歩くらいの改善をしている。月曜日には保育園に行けたらいいなあ。