脳内迷宮

nekonomimi2007-08-21

脳は様々なもの(コンピュータとか抽斗とか)に例えられるが、私は自分の脳を小さな世界のように思っている。TVゲームの舞台のように、町があったり、市場があったり、山野が広がっていたりするのである。
理性でコントロールできる部分は、牧場のような場所としてイメージされる。生き物である情報や知識を囲い込んだり、育てたり、見失ったりする場所だ。コントロール不能な部分(感情・理解、整理できない知識や情報)は、牧場に隣接した茫漠と広がる未開の地で、慣らすことができずに逃げられた生き物が消えて行ったり、手に負えない暴れる獣や抗えない嵐がやって来たりする。
理性の牧場と暗黒の荒地は境を接しているが、そのボーダーは明確なものではなく、また荒地は単純なダークサイドでもない。理性が冷酷な判断をする時もあれば、もやもやした部分が理由も分からぬまま人間的行動に突っ走らせることもある。
私は緑の牧場が機能的に運営されている状態が望ましいと思っているのだが、実際に活動している状態を見ると、それ以外の部分の方が多いようだ。町を行きかう人の記憶は絶えることがなく、どんどん流入してくる情報を取捨選択せずに農場へと運び込む市場からの道もいつも混雑している。牧場は人手不足で、特に理系の技術者がいないので、その方面の情報が活用されないまま朽ちたり、荒地に迷い込んで消えたりする。また、牧場は休み時間が長いようで、体は活動しているのに、理性がおろそかになっているのに時々気付く。夏休みなのかもしれない。牧童がぼんやりと荒地を眺めて、あれはなんだろーなーとか思っているのである。
脳を100%活用している人間などいないと聞くが、一体私の脳はどの程度使われているのだろうか。今日も、牧童達は荒地を見ながら一休みしている。最近荒地に現れたへんなものには、こんなのがあった。

  • 駅構内の放送をぼけーっと聞いていた。「右が女子トイレ、左が男子トイレ、右手前が瀧のおトイレです」……瀧のトイレかあ。涼しそうでいいけど、勢いが強いと人間が流されそうだよな。とか考えていて、荒地の方からじわじわと「多機能トイレ」という言葉が現れるまで、かなりの時間がかかった。


  • 駅ビルの催事場で日本各地の名産海産物を扱っていた。明太子やら鯨やら、様々な干物などをぼけっと眺めて、結局何も買わずに出て来た。しばらく歩く内に、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のテーマが高らかに頭の中に響き始めた。

ロード・オブ・ザ・リング コレクターズ・エディション トリロジーBOXロード・オブ・ザ・リング
最近美容院で吹き替えを見たせいか(時間のかかる施術中にサービスで見せてくれるのだ)、大塚芳忠の声で荒地に佇むアラゴルンが何か喋っている。何?と荒地に近づいて良く聴いてみると、「イシルドゥア」がどうのと言っている。アラゴルンのご先祖様ね。でも、なんでこのキーワードが出てきたんだ?よーく考えてみたら、アラゴルンが別のことも言っている。「いしる干し」……あー、さっき催事場で見たわ。私の頭の中では、名前が似ているというだけで、イシルドゥアと魚の干物が同じ場所に囲ってあるようだ。機会があったらきちんと整理したいが……やり方が分からん。


皆さんの脳は、いかがおすごしでしょうか。みんな、こんなもんよね。