おごそかな渇き

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おごそかな渇き (新潮文庫)
山本 周五郎
新潮社 1971-01
評価

by G-Tools , 2008/01/28


【出版社からの紹介】
長年対面しつづけた宗教的課題を取り上げ、“現代の聖書”として世に問うべく構想を練りながらも連載中に絶筆となった現代小説「おごそかな渇き」。ほかに“下町もの”の傑作「かあちゃん」「将監さまの細みち」「鶴は帰りぬ」、“武家もの”の名品「紅梅月毛」「野分」「蕭々十三年」、“こっけいもの”の「雨あがる」、メルヘン調の「あだこ」「もののけ」と、周五郎文学のさまざまな魅力を一冊に収めた。

収録作品

蕭々十三年、紅梅月毛、野分、雨あがる、かあちゃん将監さまの細みち、鶴は帰りぬ、あだこ、もののけ、おごそかな渇き

「内蔵允留守」が面白かったのに味を占め、続けて山本周五郎の短編を読んでいる。やっぱり面白い。こういうものが好きだというのは、自分でも自らの好みを知らなかっただけなのか、年齢を重ねて趣味が変わったせいなのか、どちらなのかはよく分からない。
ともあれ、周五郎世界を堪能した。以下各話感想。ややネタバレな部分もあるので、読むつもりの方は飛ばされますように。

蕭々十三年

天野半九郎は、主君水野監物忠善に認められたいとの心がはやり、行き過ぎた行いゆえに暇を出されてしまう……。

  • 話はあまり好きではないが、冒頭の勢いある描写、無駄を削ぎ落としたような短編としての構成が美しい。
  • 「ぬけ駆けの功名」を厳しく諌める忠善の言葉が印象的。「戦場に於て最も戒むべきを『ぬけ駆けの功名』とする、いちにんぬけ駆けをすれば全軍の統制がみだれるからだ、平時にあってもこれに変りはない、家中全部が同じ心になり互いに協力して奉公すればこそ家も保つが、もしおのおの我執にとらわれ、自分いちにん主人の気に入ろうとつとめるようになれば、やがては寵(ちょう)の争奪となり、五万石の家は闇となってしまう」
  • 共感する人は多いだろうが、異なる文化圏、例えば米国などではどのように捉えられるのだろうか?と感じた。


紅梅月毛

本田忠勝の家臣、深谷半之丞は乗馬の名手。かつて、関が原で共に戦った紅梅月毛という名馬を失っている。その半之丞が、徳川家の代替わりの祝儀で、各藩対抗の馬競べに参加することとなった。家中の者はこぞって自らの名馬を差し出すが……。

  • 紅梅月毛とは、固有名詞ではなく、馬の毛色を表す言葉だそうな。パロミノ(Palomino)とも言う、金色(淡黄褐色)の毛色をしたものを言う月毛の中でも、やや赤味がかったものを指すとのこと。全然覚えていないけど、「ガリバー旅行記」に出てくるのも月毛の馬だとか。

Wikipedia「馬の毛色」、「月毛」の項
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  • 馬が主人を慕う様子にもぐっとくるが、半之丞の馬を思う気持に強く打たれた。うらやましいほどの友情である。解説では、晴れ舞台に老馬を選んで乗った理由を家康に問いただされた半之丞が、「名馬比べではなく、技術を競うものならば、馬の良し悪しに関わらぬはず」「これが本田家の家風」と答えた様子を、「絶対の権力者にも臆することなく信念を開陳」としている。しかし、私はこれを半之丞の(思うところは真実だろうが)建前、もっと悪く言えば嘘の理由なのだと取った。ただ、「勝敗はどうでもよい、一代誉れの競べ馬に花を咲かせてやりたかった」だけなのだと。命を賭して嘘を吐いた、それこそが馬への友情の証なのだと思った。
  • この手の話は、犬や馬では作れようが、猫では無理だな。無理でいいんだけど。


野分

さる藩主の庶子として育ちながら、成り行きで継嗣争いに巻き込まれた楢岡又三郎。武士の世界に嫌気が差した彼は、慕い合う仲となった料理茶屋の女中であるお紋と、身分を捨てて生きて行こうとするが……。

  • 切ない、やりきれない悲恋物語。祖父はお紋の真の幸福を願ったのかもしれないが、本当にこれでよかったのかと悔やみ続けることになりはしないだろうか。また、お紋も祖父を恨む気持を捨てられるのだろうか?又三郎もまた、自らに許される最大限の誠意を持っていたのに、それが報われることはなかった。悪い人間は誰もいないのに、誰一人幸福になれないこともあるということか。
  • それぞれの感情を想像したり、また自分ならどうするか、などを話し合うのに最適な教材となるように思うが、国語の教科書に掲載されたことはないようだ。
  • 物語の悲しさはそれとして、序破急の構成がすばらしい。また、祖父がお紋を騙した理由を最後まで明かさないため、一風変わったミステリとしても非常に優れていると言えよう。


雨あがる

ずば抜けて腕は良いが、性格と運が災いして仕官が叶わぬ三沢伊兵衛。妻のたよと共に諸国を流浪する最中に、某所の木賃宿で雨に降りこめられる。そこで遭遇した事件によって、思わぬ仕官の口を得ることになるが……。

  • 映像化された周五郎作品で、唯一見ているのがこれ。寺尾聰宮崎美子が三沢夫婦だった。藩主役の三船史郎(原作では名前しか登場しない)のインパクトが大き過ぎて、ストーリーとか演出とかあまり覚えていない。しかし、今回原作を読んで、改めて映画を見直したくなった。
  • 上品に啖呵を切る奥様がステキ。こんなことばーっかり言っているが、こういう奥さんになりたいなあ。てゆーか、こういう奥さんになる(つもり)だから、誰か嫁に貰ってくれ。いやいや、啖呵を切るのは控えめにするから。



かあちゃん

かつての気前のよさを捨て、吝嗇に生きるある一家。母一人、5人兄弟の家族で、7つの末っ子までが稼いでいるらしい。その噂を聞いた流れ者が、溜め込んだ金目当てに忍び込むが……。

  • ここまで「良い人」になれるだろうか。登場人物の余りの善良さに、クラクラする。しかし、かあちゃんのように生きられたら、本当に幸せかもしれない。
  • かあちゃんの名台詞が印象深い。「あたしは親を悪く云う人間は大嫌いだ」「金持なら子供にどんなことでもしてやれるだろう、貧乏人にはそんなまねはできやしない……けれども親はやっぱり親だよ」「貧乏人だって親の気持に変りはありゃしない、もしできるなら、どんなことだってしてやりたい、できるなら、……身の皮を剥いでも子になにかしてやりたいのが親の情だよ、それができない親の辛い気持を、おまえさんいちどでも察してあげたことがあるのかい」


将監さまの細みち

病気を理由に働かぬ夫、年端も行かぬ子を抱え、生活のためにこっそり岡場所で働くおひろ。飲めぬ酒に酔った席で、こどもの頃の思い出の歌(とおりゃんせ)を「ここはどこの細みちじゃ、将監さまの細みちじゃ」と歌った翌日、思いもかけぬ人物が現れて……。

  • 周五郎の「弱い男女」を描写する手腕には恐れ入る。ダメ男を放り出せず、覆されると分かっている約束にうんと頷いてしまう強い女の弱さ。また、彼女を取り巻く男達の身勝手さ、彼女に付け込むずるさ。苦境から救い出すつもりの常吉でさえ、彼女の意向など気にも留めずに善意で強く出るのである。時代と場所をどこに変えても通用しそうなストーリーと言えよう。
  • おひろの諦念に満ちた台詞が印象的。「五十年まえには、あたしはこの世に生れていなかった、そして五十年あとには、死んでしまって、もうこの世にはいない、……あたしってものは、つまりはいないのも同然じゃないの、苦しいおもいも辛いおもいも、僅かそのあいだのことだ、たいしたことないじゃないのって、思ったのよ」


鶴は帰りぬ

飛脚の実(じつ)は、街道沿いの宿で女中のおとわと知り合い、将来を誓い合う仲になる。しかし、小さなことがきっかけで実がおとわの心を疑い始め……。

  • 若い男女が出てくると、悲しい話が続いていたので、この二人はどんなヒドイ目に遭うのだろーか、と心配しながら読んだ。そんな読者の心情を、度々差し挟まれるおせきさんの独白が代弁するようなスタイルになっており、より物語世界に入り込む助けとなる。また、このおせきさんの語り口調がいいんだわ。「そうよ、なにも隠すことなんかありゃあしない、あたしあの子が好きだったよ。」で始まる冒頭なんざ、何かぞくりとさせられるようである。
  • あーあ、私も実さんみたいな彼氏がほしい……って、ほんとにこんなことばっかり言ってるな。


あだこ

過去の出来事に傷付き、自暴自棄の生活を送る小林半三郎。酔生夢死の彼の家に、突然「あだこ」と名乗る田舎娘が現れた。自分を気遣う友人が送り込んだのだろうとあだこを無視する半三郎だが、彼女の存在によって徐々に彼の生活は変わっていく。

  • 男の憧れ、「おしかけ女房」ものである。(同カテゴリに「うる星やつら」「ああっ女神様っ」がある。)
  • あだこさんの人物設定の勝利。津軽弁(「わがやればなんでもごいへおん」)、素朴で明るく、ちょっととぼけた性格。彼女の話す、鼬の老夫婦の話が、物事を良い方向へ変えていくエピソードに唸った。
  • 爽やかで心温まる小品。上質で控えめなラブストーリーでもある。あーあ、私も……もうやめよう。


もののけ

都の検非違使、矢筈ノ景友は、三人の部下を引き連れて因幡のくにに出るもののけ退治にやってくる。だが、一人で行かないと現れないもののけに、腕自慢の部下が一人又一人ととり殺されてしまう。しかも、彼等は死に際に「幸せだった」と満足気に笑っていた。一筋縄ではいかぬもの相手に、景友は策を練り……。

  • それぞれの弱さを露呈してもののけに取り込まれる三人や、強欲を隠そうとしない郡司の様子がコミカルに描かれる。登場人物の独白も、芝居の脚本のようで面白い。
  • 自らのずるさ・弱さを承知して、なおそれを捨てるわけには行かないのだと開き直る景友の造形が興味深い。また、景友に討たれるもののけの独善的な説得力に薄ら寒くなった。「良い人」が出て来ない、こういう物語を面白く作れる才能と言うのは怖いものだな、と思った。
  • 「伽羅の工人」の扱いがやや半端なのが気になる。脇役その1程度の出番なのだが、その心理描写がやけに丁寧なのである。ふしぎ。


おごそかな渇き

絶筆につき、評価せず。