頭の春休み

3月は沈黙の春。多忙もあり、ずっと勉強していた試験が上旬に終わって気抜けしたのもあり、文章を練ることもなく過ごしていた。やらずにいると、今までは日常的に見るもの・感じることを自然に文章化していたのだなあ、と気付く。そういえば読書のペースも低調で、読み終えぬまま図書館に返す本が続いている。書くと読む、どちらかだけ好調ということはないのかもしれない。まあ、こんな時もあるさ。
そんな訳で、つれづれなるままにだらっと短く書く。頭のリハビリ体操。

  • 「近所にマイケル・ジャクソンみたいな猫がいるよ」「どんなの?」「『アゥ!』って鳴き声だけ聞こえる」


  • どんどん言葉が達者になるかん子さんは、最近良く歌う。季節柄か、「チューリップ」がヘビーチューン。「さいたーさいたーチューリップの花がー、なーらんだーなーらんだー赤・白」と来て何故か「きみろー」。きみろ?「黄色、ね」と訂正するも、「ちーわーうー、『き・み・ろ』!」と叱られる。「きいろ」と言えない訳でもないのに、何故なのか。黄緑色のチューリップがいいのだろうか。


  • 不調の原因の一つは、「打ちのめされるようなすごい本」を読んだせいかもしれない。そりゃ仕事の内なんだろうけど、どうしたらこんなに多くの本を読んで、かつ自らの思うところを明瞭に表現できるのだ……と「打ちのめされ」てしまったのだ。同書に紹介されている本をちょびちょび読んでいるが、今の所紹介に勝る面白さは得られていないのも口惜しい。


  • 文学をきちんと学んだことがない。もしもう一度大学に入るならば、文学部で比較文学の勉強をしたいなあ、などと妄想している。学究的な質じゃないので、研究者には向かないだろうが、講義を聴いて知識を得て、それをベースに現代文学における物語の核のありようなんかについて考えちゃったりするのだ。とか思っていたのだが、それだけだったら何も大学に行くことはないわな。こんなのもあるし。面白い。

村上春樹比較文学的研究
http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/igeta3/index.html

  • それ以前の問題として、私はブンガクに弱いんだった。ロシア文学で読んだことあるのは「イワンの馬鹿」くらいだしな。うん、大学には入らない方が身のためだ。


  • 木に咲く花が好きだ。桜もいいが、雪柳、白木蓮辛夷(こぶしってこう書くのか!)、花桃などがあちこちに見られて嬉しい季節。週末は友人と花見。来月には黄緑色のチューリップを探して散策してみようかな。いつかはあなたの住む町へ行くかもしれませんー♪これじゃ花見ジプシーだな。
  • 菜の花やヤマブキの、黄色と緑の組み合わせが好きだ。こういう色合いの服が欲しいなあ。黄色い服も緑の服も持っている。クリーニング屋のオバサンに「信号みたいな色がすきなのね」と言われたことがある。(私は赤・黄色・緑のコートを持っている。確かに信号だ。)でも、単品じゃなくて、この二色が組み合わされたワンピースなんかいいなあと思うのだ。もしもう一度何か勉強できるなら、洋服の作り方を学びたいなあ。自分の着たい服を作れるようになりたい。って、これもまた自分でどうにかできるのかな。通信教育もあるし。時間を捻出するのが難ではあるが、何事も努力次第か。

文化服装学院通信教育部
http://www.bunka-fc.ac.jp/tsushin/

  • かん子さんが生まれてから、人生をやり直したいと思うことはなくなった。過去にある失敗も選択ミスも、全部なかったらかん子さんには会えなかったのだから。やり直すのではなく、色々なことを新たに始めたい。人生はまだまだ長い……はず。


  • こんにちの日本で、毎日死を覚悟して生きる人は多くはあるまい。今日の次には明日があり、その先の未来も茫洋と広がっているのだと思っている、そんな生活がごく普通なのだろう。私のように、のんきに花見の予定を練ったり、新しく勉強を始めようかなどと夢見たりする。そんな人生を突然断たれることがある。「誰でもよかった」という殺人者の言葉がひたすら悲しい。油断して生きられる幸福はとても大切だ。日々命の瀬戸際にいるような方には、ヘソで茶を沸かしたくなるような甘いことかもしれないが、これが私の実感である。死の恐怖を忘れる平凡な日々。どうかそれを奪わないでほしい。