ナイフ

  • 秋葉原の通り魔事件、月曜の朝になって初めて知った。



町村官房長官、サバイバルナイフの規制強化検討 秋葉原通り魔事件受けhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080609-00000928-san-pol

  • 「サバイバルナイフの所持規制強化」って、意味あるんだろうか。やたらに規制したり取り締まったりしても、こんなことになるのがオチではないだろうか。

秋葉原で警察に捕まりました」http://guym.net/modules/pukiwiki/1878.html

「アーミーナイフ」http://takoashi.air-nifty.com/diary/2007/12/post_2f23.html


  • こういう格好をしている人、これを持っている人、こんなことをしている人が危険だ、というガイドラインなどないのだ。見るからに危険人物ならば、まだ予防のしようもあろう。しかし、大きな声で独り言とか、まさかりかついだ金太郎がクマにまたがり走ってくるとか、あからさまに異常でなければ、用心などできない。独り言の人は実は無害かもしれないし、金太郎は薄着でお馬の稽古しているだけかもしれないけれど、身構えるに越したことはない。他人の悪意など目に見えはしない。危なく見える人物を怪しむ警官の努力に意味がないとは言わないが、その取締りが無意味な方へ向かわないことを願う。


  • 仮に規制が実施されて、ナイフ携行に許可が必要になっても、「今、通り魔しに行きます」という人が許可を受けられるかどうかを気にするとは思えない。販売に規制をかけて、包丁やナイフを購入してすぐに携行できないようにする、なんていうのも実施不可能だと思う。サバイバルナイフ(及び、殺傷能力が高いと判断される刃物)の販売自体を取りやめることは可能だろう。しかし、目的がハッキリしている人は、サバイバルナイフが買えなければ、違う刃物を買うだけだと思うのだ。サバイバルナイフなら五人殺せるが、調理用包丁だと三人が限界です、という機能の差はあるかもしれない。だとしたら無意味ではないかもしれないが、抑止力は高くない。


  • 商品としての魚や肉は切れるけど、生きている動物は殺せない刃物、なんてのがあるのがいいのだが。業務上生体の屠殺などが必要な場合には、認定を受けて特定の場所だけで使用する、とか。無理だよなあ。魚釣りしても魚が捌けなくなる。


  • じゃあ、どうすればいいのか。改善案も出さずに他人様の意見を論評するのはよろしくない。だが、こういう件に関して、いいアイデアは浮かばない。殺意を測ることができれば、悪い未来を見通せれば、などとSF的なことを思うばかりだ。


  • 亡くなられた七人の方々のご家族の心中を思うと、胸が痛む。また、その場に居合わせてしまった他の方々も、どれほど恐ろしい思いをされたかと想像するだにお気の毒である。傍観者の私にはある事件に過ぎないが、その方々には人生の一部なのだ。それを奪われたり、傷付けられたりしてしまうというのが、実際どんなに辛いことなのか、それは当の本人にしか分かるまい。


  • 「人を殺すため秋葉原に来た。世の中が嫌になった。誰でも良かった。」事前に準備をして、ウェブサイトに自己を誇示して、大きな車両で歩行者をはねた卑怯者。理性と悪意のなせる業。極悪非道な人物ではあるが、この人もまた彼自身の両親の息子であり、今まさに彼を心配する人も(きっと)いるのだろうなあ、と思うとまた複雑な気分になる。加害者と被害者の間の溝は、実に深く、両者は無論同じものではない。それでも、誰でも・どちらにでもなりうるという点で、両者は背中合わせなのだ。